【研修旅行】

平成29年04月25日 研修巡検会 【防府市内:史跡バスツアー】
平成28年11月24日 研修巡検会 【下関市立歴史博物館→功山寺・他】
平成27年11月19日 研修巡検会 【東行庵と大田・絵堂戦役
平成27年03月26日 研修巡検記 【徳地散策(重源上人の・・】-----中村 薫
平成26年11月15日
 研修巡検会 【桑山周辺の遺跡寺社を歩く
平成26年03月27日 研修旅行記 【福岡県京都郡の謎】-------------原田 喜代子
平成25年03月21日 研修旅行記 【春の研修旅行記】----------------原田 喜代子
平成24年03月22日 研修旅行記 【人魚の祟りか】 ------------------冨田 弘子

  
◎ 平成2年11月19日: 高杉晋作『東行記念館』と『大田・絵堂の戦い』巡検。
 
           
  
 [全員:東行庵]   [東行記念館]  [美祢市歴史民俗資料館][秋吉台科学博物館] [絵堂開戦記念碑:絵堂
 
         
                     
 [大田絵堂戦跡記念碑:大木津][金麗社(諸隊本営地):大田] [長登銅山文化交流館(大田絵堂戦役150年記念展)
 
 
  
◎ 平成2年3月26日: 山口市徳地『重源上人の足跡を訪ねる』
              三坂神社→岸見の石風呂→出雲神社→法光寺→月輪寺→福田貝館→昌福寺→才谷古墳

   

            
   [岸見の石風呂]   [出雲神社]    [月輪寺]     [福田貝館]    [才谷古墳]
  *山口市徳地-島地の[福田貝館]は、福田先生(元医師)が、世界の貝殻 5,000種を収集し、3,500種を 4部屋に展示していて、
   珍しい貝殻や 数の多いことに圧倒されました。
 
※ 研修旅行記

【歴考バス研修】
『徳地史跡探訪』 −東大寺再建と徳地の歴史探訪−        中村 薫

とき:平成27年3月26日(木)
集合・解散:市役所・ソラール   出発:9時   帰着:16時
参加者22名:会員15名、賛助会員2名、非会員5名(市内3名、下松市1名、宇部市1名)

 歴考の会に昨年から参加させていただきました。
最近まで歴史に無関心で知識不足もあり続くだろうかと思っていましたが、多彩な内容に会を重ねる度に興味津々と
なり毎月楽しみになりました。
そして、今回初めてバス研修にも参加させていただき、俊乗坊重源上人の偉大な足跡にわずかながら触れることが
できたように思います。
 当日はお天気に恵まれ集合場所である市役所横の桜も開き始め、春を感じる良い日和となりました。
おかげで研修の最後には予定になかったおまけが付くことになりました。
午前中は徳地の南から出雲地区、島地川沿いを東へ周南に近い串地区へ。午後は島地から堀へと向かいました。
研修には地元の徳地観光コンベンション協会の清水さんと、法光寺の元住職松尾さんが私たちの案内人として終日同行
していただき、東大寺再建に関わる寺院・史跡で丁寧に説明をしてくださいました。
移動距離が短いため次々と目的地に着き、車酔いする間もなく充実した一日となりました。

当日の研修コース
(1)三坂神社    →(2)岸見石風呂 →(3) 出雲神社 →(4) 法光寺  →(5) 月輪寺(昼食休憩)
(6)ロハス島地温泉 →(7)福田貝館  →(8) 昌福寺  →(9) 才谷古墳 →
(10)山口観光コンベンション協会の紙すき場→(11) 南大門  → おまけ(???)
 
            
      (三坂神社)      (法光寺の仏像)      (研修旅行の皆様)

(1) 三坂神社
 バスを降りると、境内まで真っすぐ伸びる古い石畳の参道がありました。約七百年前、足利尊氏が再興をかけて九州
に下る途中に戦勝祈願を行い、この石畳を寄進したとも言われているそうです。創建は千三百年前で、三坂の「三」は
「御」の字になることもあるそうです。本尊は大国主命、秋には石見神楽を舞台で演じ、地域の人は蓆を敷いて見物さ
れるそうです。ちなみに、お神輿を担ぐ時は、ちゃんとした格好でという気持ちから背広だそうです。

(2) 岸見石風呂
 山の中腹くらいに立派な茅葺屋根付きの石風呂がありました。幅4.4メートル、奥行3.3メートル、高さ1.8
メートルで一度に5〜6人が入れるそうです。 国の重要文化財指定と言われると、普通は保存のために利用できる
ものはあまりないような気がしますが、ここの石風呂は現役。一般の方も一万円で入れるそうです。(要予約)
石風呂内を木で燃やし温め、灰は風呂の入口にある穴から床下へ落とし、床面の石の上に「セキショウ」(注1)という
野草を藁と一緒に敷き詰めて入るそうです。
 毎年3月8日に「石風呂祭り」が催され、その日だけは五百円手形で入れます。
汗が出てもべたべたにならずサラッとし、お風呂から出てくる人はみなフレンドリーになるのでにっこりするそうです。
この野草の「セキショウ」を調べてみましたら、蒸すと鎮痛成分を出すそうで、山仕事で生じる足腰の痛みや打撲外傷
の痛みをここで癒していたことに納得です。今のように病院や薬局もない時代、身体のメンテナンスをする貴重な施設
でもあったと思います。
 最初に作られた重源上人は労働者の福利厚生まで良く考えた雇い主ですね。大木の切り出し事業を無事に成功させる
ためには、労働者の健康を維持し安全に作業が進むことが必要。体力集中力が落ちてケガや命を落とす事故が相次ぐと、
気持ちも萎えて作業から離れていく人が増えることが心配だったのではないでしょうか。
石風呂コミュニティは良いチームワーク構築にもつながったのではと思われます。

(注1)「セキショウ(石菖)」ショウブ科ショウブ属の多年生植物。葉の長さは最大約30cm 蒸し風呂(サウナ)
   での利用では、葉を床に敷いて高温で蒸す状態にして、鎮痛効果があるテルペンを成分とする芳香を放出させて、
   皮膚や呼吸器から体内に吸収するようにして利用する。

(3) 出雲神社
 庄方
(しょうがた)という地名にある周防国二の宮。参道からは左手奥の二宮石風呂を見ることができました。
石風呂が併設されている神社は他にもあるそうです。危険を伴う重労働の杣人。石風呂で身体を癒し休め、神社でお参
りして帰る、という日課だったのでしょうか。創建は古く七一五年で今年は千三百年式年大祭の年だそうです。
本殿左手奥の御神木の大杉は樹齢千年以上といわれ徳地町指定天然記念物です。
そして国指定天然記念物の「ツルマンリョウ」(注2)の自生地でもあるそうです。植物好きの私にはツルマンリョウが
どんなものか一目会ってみたかったのですが、希少植物なので興味本位だけで見るのはやめておきましょう。

(注2)「ツルマンリョウ(蔓万両)」ヤブコウジ科、常緑ほふく性小低木で、長いものは一.五メートル。
    花は六〜七月に開花し果実は晩秋から冬に赤い実を着けます。

 バス移動の車中で見ることはできませんでしたが、亀山峠に奇兵隊が作った砲台跡が残っているとお話がありました。
奇兵隊は徳地に二週間くらい駐屯していたそうです、隠れ迎え討つなら絶好の場所という感じがします。
この山間部は、萩・山口から三田尻・徳山・岩見へ抜ける交通の要所だったのでしょう。
バスは佐波川から島地川そして串へ。川幅も道路も狭くなり急峻な坂もありました。こんな山や谷を人力だけで巨木を
よく引けたものです。車ならあっというまに楽に越えられるところを、どれだけの人力と時間をかけて一本の巨木を島
地川まで引いたのでしょう・・・。

(4)法光寺
 法光寺では阿弥陀堂の中へ入り、松尾住職さんの丁寧な説明を受けました。1186年(文治2年)奈良の東大寺再
建のため重源上人が建立した寺の一つで、当時は安養寺と呼ばれここで上人が切り出し事業の段取りを立てたそうです。
お堂には大きな五体の仏像(阿弥陀如来座像、不動明王、勢至菩薩、毘沙門天、十一面観音菩薩)が安置されていました。
ヒノキ一木造りで十一面観音菩薩以外は建立当時に作られたそうです。
お堂には年輪調査をした柱の切り株が二つありました。年輪を一ミリずつ調査した結果、東大寺の南大門のうん
の年輪成長パターンと似ていることがわかり、同じ環境下で育ったと証明されたそうです。
仏像は県指定有形文化財にもなっています。お堂の柱は直径三十センチくらいのものでしたが、一本の大木から何本も
このような柱をとったそうです。どれだけ巨木だったのか実感。
 お堂の後方の壁板には上人自筆の大きな梵字という書が残っていました。(梵字の意味がわからず、後で調べると仏教
寺院で使われる悉曇文字だそうです。文字の意味はわかりませんが文字自体が神聖なもののようです)お堂の左側には
重源上人自作の像と言われる像も祀ってありました。
住職さんの説明がないとどちらも見逃してしまいそうです。その他、重源上人の鯖の話など興味深いお話を聴くことが
できました。とてもありがたく贅沢な拝観でした。

(5)月輪寺
 376号線を島地川に沿って上流へ移動。上村の北側山麓に国指定の重要文化財でもある月輪寺薬師堂がありました。
月輪寺住職さんの案内で通常は入れないお堂で拝観することができました。聖徳太子が開いたと言われる清涼寺が荒廃
しているのを、東大寺再建用材の調達に訪れた重源が1189年に移し再興したそうです。
本尊薬師如来像は聖徳太子作と伝えられ、20年に一度ご開帳されているそうです。四天王・観音菩薩・お釈迦様等が
安置され、回廊式のお堂を回って拝むそうです。仏像は文化財である前に信仰の対象であることから、まず私たちも拝
み方を教えていただき一緒に手を合わせて念仏を唱えました。約八百年前からほとんど変わらないというお堂。
5月5日は地域の方が代々行ってきた縁日祭りがあり、仏様のお面を被った人との握手会もあるそうです。

〈昼食タイム〉(月輪寺お堂)
 田園風景を見降ろせる景色の良い所にお堂があり、そこで昼休憩をさせていただきました。大勢でお弁当を囲むのは
久しぶりで、とても美味しい春の山菜弁当でした。

(6)ロハス島地温泉
 月輪寺から島地側沿いを下ると左手にロハス島地温泉があり、駐車場を挟んで向かいの山を少し上がったところには
雨田(うでん)公園がありました。雨田とは、和田生まれの住職黙雷さんの雅号で、明治維新の廃仏毀釈を阻止し政教
分離を政府に認めさせた黙雷上人のために、地元の有志が感謝の気持ちで建てた雨田草堂がある公園です。
 公園へは上がらなかったのですが、黙雷は度々訪れて島地の景色を眺めていたそうです。どんな気持ちで眺めていた
のでしょうか・・・。会長さんの黙雷上人の説明で「廃仏毀釈」という言葉を初めて耳にし、意味がよくわからなかっ
たのですが、時代背景など詳しく説明していただきやっと理解できました。案内をしていただいた住職さんのお話では、
集落ごとに寺院があり信仰と共に日々の暮らしを営んでいたように感じを受けたので、急に寺院がなくなるということ
は地域にとって混乱と不安を生じたのではないでしょうか。還暦の祝いとして建てた有志の気持ちがわかるような気が
します。ロハス島地温泉にはお食事処「黙雷亭」や地元の野菜や加工品などのお店もありました。
入浴料大人510円。い〜い湯だな〜♪

(7)福田貝館
 元福田医院の院長先生が五十歳になってからからオーストラリアやスリランカ、中国へ出向くなどして収集された世
界の貝殻3500種の展示館です。館内に入ると展示されている貝の多さに圧倒されました。
1ミリ程の「コビトウラウズ」から約1メートルの「オオジャコガイ」まで大きさも色も形も全部異なり見事でした。
艶のあるきれいな貝などは見ていて飽きないです。先生のお話では、形状だけでなく生息場所や生態、摂餌方法や繁
殖方法まで多種多様でそれがまた魅力の一つだそうです。
 貝と言えば美味しいダシが出て貝汁にパエリア、パスタ・・・としか思わなかったのですが、「歴史」のように奥が
深く面白そうです。貝のお話をもっとお聴きしたかったです。

(8)昌福寺
 徳地町堀にある曹洞宗の昌福寺では若い住職さん?に案内していただきました。
前記の廃仏毀釈により正福寺と福生寺が合併して昌福寺となったそうです。徳地町指定文化財の鰐口を拝見させていた
だきました。寺院の右手奥にはお堂があり薬師如来像(写真のみ)と木彫りの二天立像を拝見しました。
昌福寺の近隣には江戸時代の勘場跡の石垣が今も残されているそうです。
今回は残念ながら現場へ行くことができませんでした。

(9)才谷古墳
 徳地インター近くの高架下から沢沿いの細い山道を5〜10分くらい登ると、竹林の中に古墳が突然現れます。
昭和五一年の中国自動車道建設時に発見され、現在の位置に移築したものです。横穴式石室で入口に袖石が二つある
西日本特有の様式。盗掘の穴が隅にあり、アーチを作る天石はありませんでした。中に埋葬された人が誰なのかは
不明ですが、この地域の首長だったのでしょうか。木々に囲まれた古墳は異空間を感じる所でした。
雨天時は足元が滑るので天気の良い日が安全でいいでしょう。

(10) 山口コンベンション協会の紙すき場
 島地川橋近くの184号線沿いに旧ガソリンスタンドを改装した山口県コンベンション協会徳地支部があります。
原材料のみつまたと楮の皮を剥ぐ工程から紙へ加工する紙すき場と販売を兼ねたお店になっています。
店内には和紙で作られた作品が展示販売されていました。その中で一番の注目は、和紙を糸にして紡いだ着物の帯です。
一見和紙製品とは思えない素晴らしい帯でした。製作期間二ヶ月の大作。いい仕事してますね〜。帯だけでなく洋服や
ドレスも作られたそうです。防水加工が施されているので雨の日も大丈夫。用途の広い製品へ進化しているのですね。
他にも活用のアイデアを募集しているそうです。
和紙と言えば、江戸時代毛利藩が主な産物として生産した防長三白(四白)中の一つ。以前出会った農家のご高齢の
女性が、夏に米を作り農閑期には家で紙すきを70歳代まで続けたという話を思い出しました。真冬の山間部、ファン
ヒーターのような暖房もヒートテックもない時代に、寒い土間で冷たい水に手を突っ込み、しもやけや腰痛と格闘しな
がら紙すきをして暮らす。米作りだけでも大変な時代に、米が済んだと思ったら紙すき。「辛抱」「忍耐」そして
「尊敬」に尽きると思います。このような方々の労力が長く日本を支えてきたのですね。紙を無駄にしてはいけません。

(11) 高齢者若者活性化センター 〈南大門〉
 山口コンベンション協会から184号線を少し北上したところに特産品販売所の南大門があります。そこで徳地健康
茶組合長の重本さんに生薬生産について次のようなお話を伺いました。徳地町は昔から生薬となる草木が豊富にあった
そうです。その生薬を増産し健康の輪を広げることをキャッチフレーズに徳地ブランドとして広げ、過疎化地区での地
域づくりモデルに役立てています。
「カワラケツメイ茶」は通称「ざら茶」と佐波川水系では呼ばれ佐波川に昔から自生しています。別名「弘法茶」とも
呼ばれ、重源上人もこれを杣人たちに疲労回復のために飲ませていました。このカワラケツメイを二十年前に種から広げ、
現在三十軒の農家が農薬を一切使用せずに生産しています。
 現在の活動目標は、今後佐波川流域全体にまで拡充し生産量を増やす。養命酒の主材料であるクロモジの生産で活性化。
休耕田を活性化する目的として、ドクダミとヨモギの養殖。自然林の整備を行って熊笹を活用、柿の葉やびわの葉、ハブ
茶の生産も進めていく方針。という内容でした。
2035年には3人に1人が高齢者となる今、健康嗜好品に興味を持つ中高年は増加するでしょう。佐波川のおいしい水
を使った生薬茶ペットボトルというのもヒットするかも?
南大門の一階には徳地の名産がずらり。もちろん元気に長生きしようと思いカワラケツメイ茶を購入しました。
徳地の自然豊かな土地と山々の資源が広く人々の活力として役立ち還元されるといいですね。
絶滅危惧種の「ツマグロキチョウ」という黄色い蝶は、このカワラケツメイのみを食草としています。
徳地では近年この蝶が増えているそうです。還元の第一歩は始まっていますね。

◎ おまけ
 一日の散策日程を終えバスに乗り込み帰路へ。足腰の疲れが一気に押し寄せた車内で「いちごソフトが近くにある」
という情報が。天気に恵まれたおかげもあり要望はすぐに通り、『あさむらいちご園』へ寄ることとなりました。
行列のできるお店と聞きましたが、新鮮まるごといちごのソフトクリームは期待以上の美味しさで納得。一日の疲れが
吹っ飛び最後まで充実した散策研修となりました。

● おわりに
 徳地地区の寺院・神社や石風呂、今回は見学できなかった佐波川の堰など東大寺再建に関係する史跡が今も地域の方々
によって大切に残されていることに驚きました。東大寺再建は国事に携わる大事業。現在のような土木技術や交通網もな
い時代に、そこに住む人、そこにあるものだけで、ありとあらゆる知恵を絞り、多くの人や村を動かし事業を成功させた
重源上人。そしてその事業に携わった人々の苦労を少しばかり感じ取ることができたように思います。事業優先ではなく、
人を大切にする上人に地域が信頼を寄せ大きな力となり成功への道を進むことができたのではと感じました。
佐波川を流れていった杉巨木、川原や山々の草木、徳地の豊かな自然は昔も今もいろいろな形で優しく社会に活用されて
います。この自然の優しさを永く大切にしていきたいとも思いました。
 迷走中のようにも感じる2015年の現在、震災復興、原発事故処理、再稼働、2020年東京オリンピック・・・
進むべき道へ重源上人様、道案内をしてほしいです。

 丁寧に案内をしていただいた方々、交通・食事等の準備をしていただいた方々に感謝いたします。
そして、なにもわからない私に丁寧に教えてくださった会員の皆様にも感謝です。
 
  
◎ 平成26年11月15日:防府市『桑山周辺の遺跡寺社を歩く』巡検会。

      
 


  
◎ 平成26年 3月27日: 福岡県『苅田町歴史資料館』→『石塚山古墳』→『御所山古墳』→『行橋市歴史資館』
             →『馬ヶ岳城跡(黒田官兵衛ゆかり)』→『みどり館』→『みやこ町歴史民俗博物館』
             →『豊前国国分寺跡』          (参加:20名)

      
  [石塚山古墳]  [旅行参加会員] 

※ 研修旅行記

【歴考バス研修旅行】
    「福岡県京都郡の謎」と「軍師官兵衛」  原田 喜代子

  前日の雨が影響してか家を出る時は曇り空でしたが、会員の中には「晴れ女」の方がいらしてその威力抜群、
 お蔭様でよい天気になり桑の山の二分咲きの桜に見送られて、二十六年春の研修旅行、会員二十名で三月二十七日
 予定通り七時五十分防府市役所を出発、今年のテーマ「謎の京都郡(みやこ郡)、大河ドラマ黒田官兵衛展」を訪
 ねてバスは一路古代の宝庫京都郡苅田町へ!

「苅田町歴史資料館」
  
道路より少し奥に入った所に、気構えしなくて一人でも入館出来そうな親しみやすい印象の資料館、
 外観は福岡県立歴史資料館を模して六角形作りの特徴のある建物です。
 一階広間に時代順に考古史料が展示されて、女性学芸員の方が案内して下さり、館内中央に一千年以上続くと
 いう伝統のある修験道(山伏)の神事で用いられている複雑な作りがしてある柱の一部分(実物は十メートル)が
 飾ってあり、高い所で御幣を切って天下泰平・五穀豊穣を祈るという勇壮な祝祭行事、
 続いて旧石器時代の動物の化石から奈良時代の唐三彩の陶枕、松山城の三つ巴丸瓦など時代に沿って、親切丁寧
 な説明を聞く事が出来ました。

「石塚山古墳」
  
引き続き、学芸員の案内で国指定史跡・石塚山古墳の見学です。古墳は苅田町役場の隣にあり、前方部に浮殿
 神社が建てられています。九州最大・最古の定型化した畿内型前方後円墳、全長百三十メートル、後円墳部径七十
 メートル、墳頂は二十二メートル、頂部に行くには神社裏側から傾斜の緩やかな道を登ります。
 で中央に長大な竪穴式石室の石材であった石が並べてありました。
 頂部は墳丘には人頭大の葺石が敷きしめられていて、学芸員が石を持ってきて大きさを見せてくださる。
 「石塚山」の名称は石が山のように大量にあった事に由来するそうです。
 墳頂より周囲を見渡すと、近くにベルトコンベヤーが通っているのが目に入りました。
 説明によると自動車・セメント工場など日本有数の企業が進出しており、この地は古代からものづくりの重要な場
 所であったとことが窺うことが出来ました。
  登るときは、自力で行くことができましたが、降りるときは会員の方に助けて頂きました。お世話になりまた。
 規模も歴史も格段の差がありますが、我が家の近くに鋳物師古墳があります。
 苅田町と同じく宅地開発されていますが、墳丘は影も形のなく複雑な思いです。

「御所山古墳」(車中より見学)
  当時の海岸線に沿って、南北に伸びた低丘陵上に築造された北部九州屈指の規模を誇る前方後円墳で国指定
 史跡、古墳時代中期の築造です。

「行橋市歴史資料館」
  コストメイト行橋の二階にある資料館での黒田官兵衛展を見学しました。会場に入ってまず目を引くのが黒田
 二十四騎の兜、それぞれの武将の思いが込められて作られているのでしょう。
 ユニークな鍬形の兜がある中に、ひと際大きな鍬形をした兜があり、戦うには目立って不利ではないかと思いまし
 たが、ボランティアガイドによると敵方の刀避けになるとの事でした。
  官兵衛のお椀を逆さにした合子形兜、長政の一の谷形兜は義経を思い浮かべ、長政の気持ちが判るような気がし
 ました。実際の戦いに使用していたという藤巴家紋の指物が、大切に扱われて硝子張りのケースにいれられて展示
 されています。
  官兵衛の家臣の中に後藤又兵衛がいますが、官兵衛の死後次第に長政とは不仲になり、行橋には長くはいなかっ
 たようですが、又兵衛が所持していたという槍とお膳が、今も行橋に残っているとの事で展示してありました。
 出入り口に「文禄慶長の役」の際に持ち帰ったという円形の金鼓があり打って見ました。鼓の中心が少し盛りがっ
 て低音、上が高音そして下が中音となっています。戦いの最中に合図として使用していたということです。

  今川河畔の桜のトンネル散策は開花しておらず残念でしたが、川べりの菜の花が長い黄色の帯状に咲いていて、
 綺麗でした。周防灘まで続いていたら素晴らしいのに。

「馬ヶ岳城跡」(官兵衛ゆかりの地車中見学)
  行橋市とみやこ町の境に聳える二百十六メートルの馬ヶ岳とその山麓に築かれた山城で「馬ヶ岳」の名前の由来
 は二つの峰からなる山の形が神馬に似ている事によると言われています。官兵衛が豊前入封直後の居城で馬ヶ岳は
 豊前地域の戦略重要拠点。黒田官兵衛達は半年間しか在城しなかったそうです。

「昼食”みどりの館”」
  
町並みを少し離れた所にある民家風の建物で食事処とギャラリーのあるお店で、絵画と陶器が陳列されていまし
 た。健康に良い野菜中心の身体に優しい献立で美味しく頂きました。と同時に目の保養も出来て満足度百パーセン
 トの昼食でした。玄関のそばに少し変った花が植えてあったので尋ねると利休梅とか、種を頂きました。
 スーツ姿のご主人と家族の人たちにバスが出るまで送って頂きました。

「みやこ町歴史民俗博物館」             
  大きな堂々とした建物、前庭に平成九年に会津から贈られたという柿の木が植えられ、柿の木のそばに「身不知
 柿」との碑が立っていました。身の丈以上に沢山の実をつけると言うことらしいです。
 館内に入ると真ん中に昔の家並みの模型が展示、その緻密な作りに感心します。次の広々した展示室に入るとケー
 ス時代を追って出土品が展示してあり、古代から近代までの釣針や刀と剣が並べて展示されています。
  無知丸出しで違いを尋ねると刀は片刃、剣は両刃と教えて頂きました。時代劇を想像して納得です。
 ちょっと昔の暮らしと道具、子供のころ農機具類は親達が使っていたことを思い出しました。
 学芸員の方は、防府郷土資料館に先輩がいるとのことで次の豊前国分寺跡、三重塔などをわざわざ丁寧に案内して
 下さいました。

「豊前国国分寺跡三重搭」
  防府にも国分寺がありますが、とにかく膨大な敷地の寺院跡地が広いのに驚きました。境内に凛としてそびえ建
 つ紅色の三重搭(福岡県指定文化財)は全体の規模に対して一階部分が大きくどっしりとした安定感がある搭す。
 昭和六十年に解体修理して現在の姿に蘇りました。
 二階には危険ということで上がることは出来ませんでしたが、資料によると二階の軒下には仏教の宇宙観を表現し
 た十二星座が彫刻してあるそうです。私たちが入った入口の反対側の上部にその一部分が見えました。
 残念ながら赤色だったことは覚えているのですが、星座は何かはわかりませんでした。
  今後修理する場合、木組みのできる大工さんがいるかどうか?と学芸員の方は案じておられました。
 日本建築の伝統技術はいつまでも残しておきたいものだと思います。

「郡長正(会津藩士)の墓碑」
  会津藩家老の次男として誕生、文武両道に秀でた優れた若者と言われていたようです。
 惜しいことに自ら命を絶ちますが、現在もマスコミ等で苛めが話題に上がりますが、明治初期にもあったようす。
 昔はないものと思っていたのでショックを受けました。最初は些細な落ち度が苛めの対象だったのがエスカレート
 して会津藩武士の精神まで問われるまでになると十六歳の少年には耐えられないことだったと思います。
  名誉を守るため切腹まで追い詰められた気持ちが切なくてやりきれない思いです。藩としても将来を託して六名
 の若者を留学させたのでしょうが、残念な結果になり、どんな思いだったのでしょうか。
 古い土地柄のためか?立派なお墓が建ち並ぶ中程に長正のお墓がありました。 正面は遠く故郷の方向に向かって
 建てられており、建立された方の優しさを感じました。会津の人々の長正への思いは強く、個人或いは団体で豊津
 町まで墓参に訪れる方が今も後を絶たないそうです。
 私たちが訪れた時は彼岸を一週間ほど過ぎていましたが、お花をお供えした跡が残っていました。

「豊前国分寺跡」
  豊前国分寺跡は、国府跡の中で政庁部分を中心にした公園になっています。公園の中には第三期の政庁を囲んで
 いた築地塀跡が復元されています。後方は小さい子供たちの遊び場があります。
 帰りのバスの中で、会長が山口・福岡の県民の藩に対する思いが違うことの内容をお話して下さいました。
  黒田官兵衛に関するクイズがあり、「官兵衛はどこで死亡したか」との問題、一応安定した世では城内だと思い
「福岡」と答えた私は不正解。「京都」と回答されたAさんが正解。流石です。例年のごとく豪華商品つきの楽しい
 ジャンケン大会、残念な事に今年は第一回戦で早々に敗退、会長のお心遣いで敗退者全員にも珍しい“焼きドーナ
 ツ”の賞品を有難く頂戴しました。
  無事、十九時少し前に市役所前に到着、今年も会員の方々の親切に支えられて無事に研修旅行を終える事が出来
 ました。大変お世話になりありがとうございました。




◎ 平成25年3月21日: 茶人必見『芦屋釜の里』→岡湊神社『神武天皇東征の出発地(車窓見学)』→
              展望絶景『マリンテラスあしや
(昼食)』→『海の家 むなかた館・平等寺瀬戸古墳』
              →『宮地嶽神社奥の院
(宮地嶽古墳)』・他       (参加:22名)
 

 研修旅行記

【春の研修旅行記】 原田 喜代子

  桜の花が咲き始めた三月二十一日(木)午前八時、山本一朗先生ご夫婦をはじめ二十二名の会員が貸し切り
 バスで防府を出発。
 今年のテーマは「倭国へ騎馬民族はやってきたか?」 その手始めに「海の王者胸形氏一族の謎」の探求に、
 福岡県宗像市へ向かった。 車中で長野会長より本日の研修のポイントの解説を聞きながら、芦屋に到着。

芦屋釜の里」出迎えていただいた学芸員の説明を聞きながら、色々な釣鐘を叩いてその音色の違いを実感する。
 芦屋釜は鎌倉・室町時代には茶の湯釜の名器として一世を風靡した。 その茶の湯釜には国の重文が九個あるが、
 うち八個なでを芦屋釜が占めている。
  山口市大内御掘の興隆寺の釣鐘も芦屋で作られており、芦屋釜は大内氏の絶大な庇護の下で隆盛を極めたが、
 その大内氏の滅亡と共に芦屋釜も急速に衰退し、各地へ分散してしまったという。
  資料館から出ると向かい側から女性の方が「お茶はいかがですか」と声を掛けてくださり、その声に誘われて
 芦屋釜で沸かした湯でお抹茶を入れて下さるかな?期待と想像を膨らませて建物の中へ、立礼席で椅子には緋毛
 せんが敷いてあり、棚には時季より少し早い山吹の花が一輪ほど活けてある落ち着いた雰囲気のお部屋で、
 今日 これからの行程に活力をつけようと思い Fさんとお茶を頂くことに・・。
 結構なお点前でホットしたひと時でした。 お茶を頂いてお茶席から外へ出ると、そばの庭園に水琴窟があり、
 係りの方の勧めに従い、手洗い鉢から柄杓で汲んだ水を落として音を聞いてみる。 普段は余り聞き慣れない
 音色、心静かにして聞く日本の音色だと思いました。
  次にトト市場に向かうも、祭日の代替で本日臨時休業のため、急遽予定が変わり、「マリンテラス芦屋」へ。

マリンテラス芦屋」時間より少し早くレストランに到着、お陰様で天井から床までが一面のガラス張りの広い
 階上から、ゆっくりと眺望することが出来ました。玄界灘の眺望絶佳、長い松林、広く白い砂浜一帯に激しくて
 荒々しく浜にうち寄せる白波の光景は、二千年前 ここ崗水門(オカノミナト)から、神武天皇が東征へ出発さ
 れたのかと、いにしえへ思いをめぐらせ、瀬戸内の穏やかな海を見慣れている目には、力強い波の怖さを垣間見
 たように感じました。
  昼食は「刺身定食」玄界灘の荒波に揉まれて育った芦屋イカ、さすがブランド品に恥じない歯ごたえと甘味が
 感じられるお味で、おいしく頂きました。景色もお味も満腹した時間でした。

「海の道 むなかた館」は新しく出来た学習会館で、館長に西谷先生が就任しておられるというので、大いに期待
 していきましたが、韓国へ旅行中のため、学芸員の方と、長野会長の友人の松本肇先生に出迎えていただき、
 特別に「平等寺瀬戸遺跡の一号古墳」を開けて見学させていただくことになり、十五分ほど後戻り。
平等寺瀬戸遺跡の一号古墳」円墳・径二十米(周壕を含むと三十米)復室の横穴式石室・高さ二・五米、後室
 の奥壁の中位に石棚の大型石材が架けられ、床には屍床が設けられている。床面は左右が少し張り出し
(胴張り)
 壁面はドーム型になっていた。 
 学芸員の方がライトアップしながら詳しく説明していただき大変よく分かりました。

海の道むなかた館」シアターで世界遺産の沖の島遺跡を音と映像でリアルに体験。 特別展示室では、特に甕棺
 墓の分布が東佐賀県・北熊本県・東北部を除く福岡県の範囲で、宗像地域には甕棺墓はなく、その境界が はっき
 り示されていて、これはどう考えたらいいのか ? 謎が一つ増えました。

アンズの里道の駅 杏の花の満開から一週間おそかった。残念でしたが、ショッピングを楽しみました。

勝浦 峯の原古墳」(五世紀中葉)全長九十七米の前方後円墳で、玄室の中軸線上で三等分するように石柱が二
 本立っている。 日本には類例はなく、高句麗の双えい塚古墳に類似している。半島との関係が推測されてる。
新原 奴原古墳群」(五世紀前半〜六世紀後半)東西約八百米の台地上に前方後円墳五基・方墳一基・円墳五十
 三基の合計五十九基。 半島的な鉋型鉄製品・国内最大の鋸等、希少な遺物が出土している。
須多田古墳群」(五世紀中頃、径三十三・五米の大型円墳一基)(五世紀後半〜六世紀後半の前方後円墳七基)
 以上三箇所の古墳は内部の見学が出来ないので、いずれも車上よりの見学。

宮地嶽古墳」宮地嶽神社の奥宮として開口されているので、松本肇先生の解説を聞きながら見学。円墳で径三十
 四米、横穴式石室は全長二十三米、高さ三・一米、石室は三〜四メートル大の巨石が左右にずらりと並んでいて
 圧倒されました。 側壁に小さな袴り込みが一対ありました。 古墳の周辺から、金銅製太刀や馬具・冠等豪華
 な副葬品が出土、すべて国宝に指定されている。 天武天皇の第一王子を産んだ尼子娘の父 胸形君徳善とする説
 があるということでした。
手光波切不動古墳」蛇行鉄器出土   (車中見学)
田熊・石畑遺跡」平成二十年に、弥生中期前半頃の墓域が見つかり、六基の古墳より銅剣・胴矛・胴戈の武器型
 青銅器が十五点出土し、宗像地域の弥生時代にこのような有力者の集団が確認されることとなった。
  昨年見学した福岡市の吉武・高木遺跡と比較してみても、魏志の倭人伝の奴国のつぎの不弥国が思案されそう
 である。 現場は国の史跡に指定され保存工事中のため、車上からの見学となる。

  午後四時半、順調に見学が終わり、大変お世話になりました松本肇先生と東郷駅でお別れして帰路へ。
 帰りのバスの中で、宗像市の西隣の古賀市谷山地区「船原三号墳」七世紀初頭の円墳(径二十米)の墓道入口付
 近に埋納された穴より、馬具一式十八点(うち十四点は金銅製・馬冑は板状の鉄製で、国内では和歌山県大谷古
 墳・埼玉県埼玉将軍山古墳から出土していて、九州では初出土、蛇行鉄器も出土している)や 弓などの武具、
 農具が大量出土している。 と会長より追加の解説がありました。
  今日 見て廻った この玄界灘に面した地域は、色々なことが多く頭がパンクしそうです。
 帰路 バスの中でジャンケン大会があり、春財布をゲットしました。今年は春から縁起がいい。ラッキ!!
 皆様のお気遣いと手助けを戴きながら、痛んだ足で歩くことの多かった、この研修旅行を無事終えることが出来
 ました。有難う御座いました。御礼申し上げます。


◎ 平成24年3月22日 :福岡市内観光・金隈遺跡見学・他 (参加:30名)
  
 研修旅行記

【人魚の祟りか】 冨田 弘子

  二、三日前から喉が痛かった。 体もだるく、歩くと息切れがひどかった。 しかし、博多行きの研修旅行は
 参加したかった。 工程表に櫛田神社の博多山笠鑑賞が入っているのをみて、何はともあれ参加しょうと決めて
 いた。 十七年前家族四人で旅行したとき、この神社の飾り山笠に圧倒されれた記憶があるからだ。
 それは、私達夫婦の銀婚式を祝って娘たちが企画した旅行だった。自由行動の時間をとり、それぞれが行きたい
 場所へ出かけた。 あまりに楽しかったので、いまだに生き生きと思い出す。再度訪れる機会などめったにない
 から、逃がしたくなかった。
 当日、天気予報は晴れて暖かいと言った。 でも 夜は雨だ、と。九州だから防府よりは気温は高いだろう。
 汗をかいたら逆に風邪を引く、と 気をまわして ちょっぴり薄着した。 

  博多の町は予想に反して風が冷たかった。 バックにしのばせてきたホッカイロを背中に貼ってしのいだ。
 参加者三十人。町歩きは十人ずつのグループに分かれ、それぞれボランティアガイドについて歩く。
 ガイドは定年退職後という男性三人だった。 バスは櫛田神社横の駐車場に着いた。 神社にお参りするとばか
 り思っていたら、ガイドさんたちは神社を素通りしてして町歩きに出発したあので、ガッカリした。
 それにしても、神社周辺の雰囲気が以前とはまるで違う。 十七年前はごちゃごちゃしていて、道幅も狭かった。
 暗くて湿っぽいイメージだった。視界が開けすぎたようで とどまいを感じた。ガイドさんに聞くと、近年、山笠
 人気で大勢の人が訪れるようになり、駐車場も歴史館も造られたそうだ。

  神社の隣に「博多町家ふるさと館」もできていた。
 明治中期に博多織の織元が建てた町家を移築復元したもので、博多織実演コーナや博多の祭りや暮らしの展示な
 どがある。 土塀に平かわらや丸がわら、鬼がわらを塗り込んだ博多塀は強固さと、模様のおもしろさを併せ持
 ち、昔の商人のアイデアに感心した。
  少し歩いて龍宮寺に行く、 ここには人魚塚がある。 寺の創建当時は海辺だったそうだ。
「お堂は潮が満ちてくると海に浮かんでいるように見えたので、浮御堂と称されていた」と説明板に書いてある。
 龍宮寺縁起によると、「後堀河天皇の一二二二年四月十四日、博多の海で人魚が捕れた。伝え聞いた朝廷は吉兆
 だと、勅使として冷泉中納言を下向させた。このとき、占い師がこれは国家長久の端兆だといい、浮御堂に埋葬
 した。人魚は龍宮から来たのだろうとして、後に寺名を龍宮寺と改め、勅使の姓をとり、冷泉山と号した」。
 浮御堂は小さなお堂だが、寺は鉄筋三階建てで、外観は寺のイメージはない。境内の人魚塚をみれば、そういう
 伝説も、ありかなと思うだけだ。 しかし、人魚の骨があるという。
「あら、見たい」の声に、ガイドさんが「これからお見せしましょう」と言う。みんな一様に「ええっ?」。
 ホンマカイナの心境だ。 二階の広い本堂に、触ったら破れそうに古い人魚のお軸がかかっていた。 
 天女が泳いでいるような図。 胸から下はふくよかな魚だ。軸の下には、大きめの三宝が置いてあり、赤い布を
 敷いて、骨が載せてあった。挿絵などで目にする犬がくわえている骨のような形のものは、子供の腕くらいの大
 きさだ。 ひれのようなものもある。 どれも飴色に光っていた。
「えらい大きいのう。こりゃあ大女でよ」Kさんが冗談ともとれる感嘆の声をあげる。昔は健康を願って、骨を浸し
 た水を飲んでいたとか。 またしても、みんな「ええ?」「うそでしょう」。まさか水に浸すわけにはいかないか
 ら、「健康に過ごせますように」と言いながら骨をなでさすった。ちょっと気持ち悪いが、思い切って持ち上げ
 るとずしりとした手ごたえがあった。「どれどれ、ご利益があるかね」と清子さんも。 
 一メートル四十五センチ位の人だったようです、とガイドさんは言う。 それにしては骨が大きすぎる。
 クジラより大きかったのではなかろうか、とか、ひとしきり皆はにぎやかだった。

  次は東長寺へ。 日本一という木造の大仏もあり、福岡藩主黒田家の墓所がある。
 徳川のお江
(ごう)さんの墓に次いで二番目に大きいとか。  日本で二基のうちの一つである木造の五重の塔も
 あった。ビルのそびえる街中で、日本一を擁するにふさわしく広い寺域に建つ寺院も鉄筋の大きな建物である。
 黄土色の練塀には横に五本の線が入っている。 天皇家より お許しがあったと言うしるしだそうだ。
 言われてみれば、線の入った塀とない塀の寺があった。博多だけのことなのか聞きそびれてしまった。
 他に、日本で最初の禅寺・聖幅寺や、ういろう伝承の妙楽寺や博多山笠創始者が開山した承天寺など訪れる。
 どこも七百年から八百年の歴史をもつ。 遺跡や埋蔵文化財センターを訪れて旅は終わった。

  足取りも軽く、好奇心丸出しで見聞した行程だった。出発前に懸念していた風邪状態は何だったのだろう。
 しかし、帰途の車中で頻繁に咳が出るようになった。引っ込んでいた風邪菌が目を覚ましたのか。
 旅行から帰って、十日間発熱と咳で苦しかった。無気力になり、歩くのさえ地に足がつかないような不安感が
 あった。 病院でもらった薬は全部飲んでもすっきりせず、完全に元に戻るのに、ひと月近くかかった。
 こんなことは今までにないことだ。 このまま私は朽ち果てるのか、とさえ落ち込んだ。
 思うに、人魚の骨を撫でさすりすぎて、人魚の気分を害したのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  

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