歴史講演会 
 
 
平成29年06月18日 【幕末維新の思想家〜 『吉田松陰』の生き様 〜】------毛利博物館 顧問 小山良昌 氏
 
平成28年10月23日 【毛利元政・元倶父子について〜 右田毛利家の始まり 〜下関市立歴史博物館 学芸員 田中洋一 氏
 
平成28年06月19日 【三田尻宰判の幕末維新〜 郷士三田尻の幕末動乱の有様 〜】--毛利博物館 顧問 小山良昌 氏
 平成27年10月25日 【幕末・動乱の関門海峡】------------------ 下関市立中央図書館 館長 安冨静夫 氏
 平成27年06月21日 【
明治日本を救った男 名将『児玉 源太郎』】 ----- 毛利博物館 顧問 小山良昌 氏
 平成26年10月26日 【
邪馬台国はここだ!!】-------------------- 伊都国歴史博物館 館長 榊原英夫 氏
 
平成26年06月22日 【『花燃ゆ』ゆかりの人々】------------------------- 毛利博物館 顧問 小山良昌 氏
 平成19年10月  日 【
邪馬台国の謎に迫る(九州説)】-------------------------------------- 古田武彦 氏
 
 
◎ 2017年 6月18日に、「歴史講演会」を、防府図書館:研修室で行いました。(聴講者:72名)
     演題 :幕末維新の思想家 〜 『吉田松陰』の生き様 〜
     講師 :毛利博物館 顧問  小 山 良 昌 氏 
      
                 
          講演会場             講演会場           小山良昌氏       宣伝ポスター 
 
 
◎ 2016年10月23日に、「歴史講演会」を、防府図書館:研修室で行いました。(聴講者:61名)
     演題 :毛利元政・元倶父子について 〜 右田毛利家のはじまり 〜
     講師 :下関市立歴史博物館 学芸員  田 中 洋 一 氏 
                       
         
講演会場            講演中            田中洋一氏        宣伝ポスター 

 
◎ 2016年 6月19日に、「歴史講演会」を、防府図書館:研修室で行いました。(聴講者:66名)
     演題 :三田尻宰判の幕末維新 〜 郷士三田尻の幕末動乱の有様 〜
     講師 :毛利博物館 顧問  小 山 良 昌 氏 
                    
 
         
講演会場          小山良昌 氏             宣伝ポスター 
 

◎ 2015年 10月25日
に、「歴史講演会」を、防府図書館:研修室で行いました。(聴講者:41名)

     演題 :幕末・動乱の関門海峡 〜高杉晋作の活躍した舞台〜
     講師 :下関市立 中央図書館  館長 安 冨 静 夫 氏
                          
         
講演会場                             安冨静夫 氏          宣伝ポスター

   【歴史講演会を聴いて】  藤津 久美子 
 
 10月25日「幕末・動乱の関門海峡」〜高杉晋作の活動した舞台〜と題して、下関市立中央図書館館長・
安冨静夫氏による講演があった。
 高杉晋作は萩城下町の一角で、高杉小忠太(のちの丹治)、母ミチとの間の長男で、毛利家に仕えて来た
名門武家の高杉家の大切な世継ぎとして誕生した。
 松下村塾での我が師・幕末の思想家吉田松陰との出会い。門下生は四天王と呼ばれた 久坂玄瑞、吉田稔麿、
入江九一ら。 伊藤博文は晋作のことを「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」と例えている。
たくさんの同士との出会いは、高杉晋作にとって革命の第一歩である。
 二十二歳の時、上海を見て外国の軍隊、洋式軍備に驚くとともに、二十二歳と言う若さで外国の軍隊に立ち
向かっても勝てないことを悟る。
 関門海峡を通航する外国船を攻撃。 敗戦後の講和全権大使として交渉にあたり和議成立。
彦島の租借拒否は上海外遊の成果で、租借を許していたら香港のようになっていただろう。
 一八六三年(文久三年)騎兵隊結成。「志のある者ならば入隊でき、人は皆平等である」と言うのは「人は
望めば、誰でも平等に教育を受ける権利がある」と言う考え方をしていた 松蔭の教えだったのだろうか。
 大田絵堂の戦いで急進派が勝利し藩論を統一。 奇兵隊で亡くなった人を祀った招魂場を創り、
一八六六年(慶応二年)四境戦争に勝利。 小倉藩の藩校【思永館】からは多くの書籍を持ち帰り、奇兵隊の
所蔵本とした。 現在もたくさんの書籍が残っているそうだ。
 明治維新を成し遂げ時代の先端を激しく疾走した晋作は、一八六七年(慶応三年)四月十四日・享年二十九歳
で惜しまれながら短い人生を終える。 余りにも早い死だ。 晋作が眠る東行庵。 雅号で呼ばれると東行。
「面白きこともなき世を面白く、住みなすものは心なりけり」は、晋作と望東尼の合作の和歌。
望東尼とは晋作が九州亡命の時に世話になり、望東尼が姫島に流された事を知り恩義に報い救出させたそうだ。
二人の句は妻雅子の筆による色紙が東行庵に残っている。
「花燃ゆ」で盛り上がっている防府。 これからの展開が楽しみとともに、秋の研修旅行「大田・絵堂戦役」
巡検会に胸がわくわくしている。
 安冨講師の豊富な知見を基に幕末・動乱時代の秘話を交えながら お話していただいた。
あっと言う間の講演会で、幕末をぶっちぎった人物 高杉晋作のことがもっともっと知りたくなった楽しい時間だった。

 
◎ 2015年 6月21日
に、「歴史講演会」を、防府図書館:研修室で行いました。(聴講者:68名)

     演題 :明治日本を救った男 名将『児玉 源太郎』
     講師 :毛利博物館 顧問  小 山 良 昌 氏
                     
         
講演会場             小山良昌 氏             宣伝ポスター

  【歴史講演会を聴いて】  吉武 志津江

 6月21日に「名将・児玉源太郎」〜明治日本を救った男〜と題して、毛利博物館顧問・小山良昌氏の歴史
講演会があった。
 私はこの児玉源太郎という人の名前を聞くのは初めてであったが、いただいたレジメの表紙には「長州を代表
する軍人で陸軍大将となり、台湾総督時代は後藤新平と「宥和政策」により台湾の近代化に努めた。日露戦争で
は満州軍総参謀長として出征し、日本を勝利に導いた。軍略・戦略に優れ知将としての名声が高い。」とあり、
開演前に少し予備知識を仕入れることが出来た。

 出生は嘉永5年(1852)というから江戸時代の終わりのころだ。
5歳で父と死別し義兄に養育されたが、13歳の時その義兄が殺され児玉家は断絶となった。
翌年小田村伊乃助が藩主を説得して児玉家は再興され、中小姓に採用された。
 現在大河ドラマで活躍中の小田村伊乃助が登場して少しうれしくなった。
そして、ここから長い軍人生活が始まることとなる。
 四境戦争、戊辰戦争、佐賀の乱、熊本の神風連の乱、西南戦争で活躍し、41歳で陸軍次官となった。
日清戦争後の44歳のときには引揚げ軍人の検疫を実施し、世界の戦争史に例がない快挙となった。
また、46歳のときには九州〜台湾間に海底ケーブルを敷設し児玉ケーブルと言われた。この海底ケーブルは
その後の日露戦争にも情報や命令のやり取りに大いに活躍した。当時の日本にこういう技術力があったのかと
正直驚いた。
 47歳の時第四代台湾総督に就任、安定した民政に尽力し、現在も台湾の人に高く評価されているとのことで
ある。隣国と決して友好的とはいえない今の日本であるが、これを聞いてとても感銘を受けた。
 53歳の時日露戦争が勃発したが、この時も勝利に向けて大いに活躍した。戦争後55歳で逝去、まさに日本の
安寧のために軍人として生きた一生だと思う。
 江の島の児玉神社には台湾から狛犬が送られ、徳山の児玉神社には李登輝氏の石碑が立っている。
特に台湾の人から慕われているということに深い感銘を受けた。
山口県にこういう立派な人がいたのだと改めて誇らしくうれしく思った。
小山先生の講演は所々にいろいろなエピソードを織り交ぜた軽快な語り口で笑いの絶えない講演であった。
次の機会がまた楽しみである。
 
 

◎ 2014年10月26日に、「歴史講演会」を、防府図書館:研修室で行いました。

    演題:『邪馬台国はここだ!!』
        魏志倭人伝 伊都国・奴国・邪馬台国の謎ついに解明
    講師:伊都国歴史博物館 館長 榊 原 英 夫 氏
  
 

 
◎ 2014年6月22日に、「歴史講演会」を、防府図書館:研修室で行いました。(聴講者:97名)

     演題 :2015年 N H K 大河ドラマ 『花燃ゆ』ゆかりの人々
     講師 :毛利博物館 名誉館長  小 山 良 昌 氏

                         

 
 
  【歴史講演会を聴いて】  冨田 弘子

  六月二十二日「NHK大河ドラマ『花燃ゆ』ゆかりの人々」と題して、毛利博物館名誉館長・小山良昌氏の
 ご講演があった。
 来年の大河ドラマは吉田松陰の妹、文の生涯を描いたものと決まり、文の再婚相手の楫取素彦ゆかりの地防府
 は多いに盛り上がりたいところ。
 この日も下松などから来られた人もあり、約百名の出席者という盛況であった。
  相変わらずドラマ性のある小山氏の語りは面白く、時の経つのも忘れるほどであった。
「花燃ゆ」とは、「命を燃やし、情熱を燃やし、恋の炎を燃やす」という意味を込めてあるそうだ。
 ドラマは、文を取り巻く杉家のホームドラマから、松下村塾の学園ドラマ、毛利家の人々、そして、群馬県知
 事夫人へ、という流れらしい。
 
  文の生まれた杉家は「三度の食事よりも読書が好き」な祖父。父もまた、米搗き臼のダイガラに見台を設けて、
 本を読みながら米を搗くという読書好き。毎朝、若水を汲み、お供えをして、先祖の拝礼、萩城に向いて礼拝、
 朝廷方向に遥拝をする敬神の念の強い人だった。
  母は戦前の修身教科書に「吉田松陰の母」として載るほどの賢母。姑からは「仏様の生まれ変り」と称される
 ほど、よく働き、優しい人であったという。
 長兄は後に松下村塾を再興し、師弟を教育した人。次兄が松陰で、五歳で叔父吉田大助の養子となる。
 長姉は、自害する叔父、玉木文之進を介錯するほどの気丈夫。
 次姉は小田村伊之助、後の楫取素彦と結婚。「妙好人」(真宗で特に寺の発展に尽くした人)と呼ばれるほどの
 信心深い人。群馬県令となった夫を、真宗の法力教化により手助けする。
 そして、生まれながらの聾唖だが、読書人であった弟。  
 こうして家族環境を列挙するほどに勤勉実直な家族の中で育まれた文の人物像が想像できる。
 
  文が嫁ぐ久坂玄瑞は「防長青年中大一流の人物」と松陰が賞賛する器量のひと。藩医の三男である。松陰没後、
 攘夷運動のリーダーとして活躍する人だから、文は嫁いでもほとんど一緒に生活していない。
 結婚生活八年で、玄瑞が禁門の変に敗北し自刃。
 二十二歳で未亡人となった文、改め、美和子は、後年、姉壽子の死後、楫取素彦と再婚する。
 歳の差十六歳であった。
 
  小山氏のお話は、松下村塾の人たちや、毛利家の人々、萩の乱と続くのだが、来年の放映が待ち遠しい。
 夫妻は防府市の大楽寺に眠る。
 何年も前に、防府歴史と考古学の会で墓碑を訪れたときは、詳しくは知らない人でもあり、さほどの興味も持た
 なかった。今回の講演で、あらためて文献を読んでみようと思った。
 防府市が全国メジャーになることを心から期待したのであった。

 

◎ 2007年10月、の「歴史講演会

    (ルルサス防府多目的ホール:会員や一般市民ら約90人が集まった)


  講演会では、はじめに長野会長があいさつ。同会の歴史や活動を紹介し、「興味のある人は気軽に覗いてみて
 ほしい。一緒に勉強しましょう」と呼びかけた。

  講師の古田武彦さんは、元昭和薬科大学教授で、古代史の定説に再検討を迫る研究で有名、
 『邪馬台国はなかった』『失われた九州王朝』など話題の著書も多い。
 この日の講演の演題も「邪馬台国の謎に迫る(九州説)・失われた邪馬壹国」。
  古田さんは『魏志倭人伝』や『三国志』などを読み解きながら自身の説を説明。 
 その中で歴史研究の姿勢について「天皇家を奉るのも貶めるのも間違いのもと。事実はどうか。先入観を持たずに
 考えることが大切」と話していた。

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