【古事記ー要約】 〈池田 成臣〉 【古事記の神々は、巻末の「神々の系図」を参照して下さい。 *記号 または( )内の注釈は、個人解釈です。】 |
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天之御中主神は、イザナギ・イザナミに、この天の沼矛(ぬぼこ)を持って、脂のように漂う国を固め て治めるだと命じた。この男女の二柱(ふたはしら)は、天の浮橋という雲の中に浮かんでいる橋に立って、 その沼矛で漂う国をかきまわすと、矛の先にしたたるしずくが、重なり積もって島(淤能碁呂島 おのころ じま)になった。 この二柱は、そこに降り立ち宮殿を造り、そこで国々を生む前に、お互いの体の状態を確かめ合い ます、イザナミは、「私の体には一箇所が足りない所がある」イザナギは、「私の体には一箇所余っ ているようだ」、そこで イザナギは「私の余った所を、イザナミの足らない所に刺しふさいで子供 や国々を生もう・・・」。最初に骨のない『水蛭子 みずひるこ』等をを生み、二人は泣き悲しみながら、 この子どもを葦船に乗せて流し去りました。(第一子の産み損ないの伝承と推測) 二柱は困って天津神(あまつかみ:高天原にいる神)に、相談して智慧を借りる。「女の方が 最初に声を 掛けたのが良くなかった、 男が先に声を掛けるように・・・」。 |
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そして 二柱は、最初に 淡路嶋・四国・隠岐・筑紫嶋(九州)・壱岐・対島・佐渡・最後に、大倭豊秋津嶋(おおやまととよあきつしま:本州)を生み、 日本の国土『大八嶋国 おおやしま』を生み終えました。 * 蛭子神(ひるこのかみ)=(蛭子=えびす:恵比寿:戎:夷)唯一の日本製の七福神の恵比寿さま:他の七福神はインドや中国由来のヒンドゥー教と 道教による:大阪では、流れ着いたとして、商売繁盛の恵比寿様として祀る。:江戸時代に七福神信仰から 大黒様=大国様(大国主)になった。 * 大倭豊秋津嶋の「秋津(あきつ)」= 秋津は トンボの古名で、トンボが合体しながら飛んでいる姿が、本州に似ていることからついた。 (だれが上空からみたのだろうか ?) そして 次に『大八嶋国』に 住む神々を生み始めます。土の神・石の神・川の神・海の神・山の神等の神々を生み、 最後に火の神(炎の神: 迦具土神 カグツチノカミ)を生んだ。 この 火の神を生む時に、その子が身にまとった炎によって、イザナミの、みほと(女陰)は焼かれ、病にふせってしまった。 病に倒れたイザナミは、嘔吐をしたときに、神が生まれ・糞(クソ)をしたときにも、神(埴山神:ハニヤマノカミ:久兼の埴山神社にも祭祀)が生まれ、 そして イザナミは、尿(ゆばり)をした時も 神が生まれた(罔象女神 ミズハノメノカミ:井戸の神)。 イザナミは、結局、火の神を生んだ時の病から、亡くなってしまった。(出雲と伯耆の境の比婆山に葬る) * 日本書紀では、「花の窟いわや」に葬る:花の窟=三重県熊野市:(現在でも祭事あり) →“日本書紀”の神武東征では、紀伊半島を南下して、この辺りから、奈良に進むと記載。 →“古事記”の神武東征では、紀伊半島を南下して、熊野村とのみ記載(場所は不明)に上陸。 熊野村=(和歌山県南部と三重県南部の熊野国か?) 嘆き悲しんだ イザナギは、十拳剣(とつかのつるぎ)を手に握り、生まれて間もない 迦具土神の首を はねてしまった、その剣の切っ先についた 血から、武甕槌神(タケミカヅチノカミ:鹿島神宮の祭神:中臣氏が祭祀する)等の 神々が生まれた。 〈参照:神々の系譜〉 イザナギは、妻の死を嘆き、今一度 妻に会おうと黄泉(よみ)の国(死者の国)を訪れたが、「私はすでに黄泉の国の食べ物を口にしてしまい、 もう元の国には帰れませんが、黄泉の神と話し合ってみます、 私が黄泉の神と話している姿を決して見ないで下さい」と、イザナミは言い置き して中に入って行く。 一向に姿を現さない妻に我慢が出来なくなったイザナギは、妻との約束を破り、中の様子を伺おうと覗いて見ると、 イザナミの口には、うじ虫が集まり、体には八雷神(やくさのいかづちがみ)が、 まとわりつき 妻の恐るべき その姿にビックリ仰天した。 イザナギは、我を忘れて黄泉の国から逃げようとした、「どうして 約束を破り、私のこの醜い姿を見たのですか、よくも私に恥をかかせま したね!」 そういうと、イザナミは、黄泉の国の醜女(しこめ)たちに命じて、逃げる夫を追わせた……… イザナギは、逃げながら黒い鬘(かつら:黒いつる草の髪飾り)を ほどき、背後に投げつけた。すると 髪飾りは山ブドウの つるとなって、 実をつけた。 その実を醜女たちが食べている間に逃げ延びるつもりであったが、再び背後に迫ってきた。 イザナギは、今度は右の角髪(みずら) の爪櫛の歯を折って背後に投げつけた。すると それは見る間にタケノコとなって道を塞いだ。 それらを醜女たちが食っている間に逃げのびる。 |
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*角髪(みずら)=美豆羅(みずら:耳に連なるの意):上古時代の男性のヘヤースタイル 髪を頭の中央から左右に分け、両耳の辺りで先を輪にして緒で結んだもの。→ *爪櫛(つまぐし)=角髪にさす、竹で作った爪形の櫛 |
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なんとか、追っ手をまいて一息ついていたイザナギは、黄泉の国と、この世の境目に 大きな岩を置き、行き来、出来ないようにした。 その時、その岩の向うから「早くこの岩をどかして下さい」と、イザナミの声がしたが「ダメだ、出来ない」と、答えると、 ならば「これから、あなたの国の人々を一日に千人殺してくれよう」 イザナミが、そのような振る舞いをするならば「私は一日に千五百人の人を生んでいこうぞ」。 こうして、一日に千人亡くなり、千五百人の人が生まれてくるようになった。 (二) 【禊祓 みそぎはらえ】 黄泉の国から戻ったイザナギは、体の穢れを落とそうと、筑紫の日向(ひむか:場所不明)の橘の小門(おど:小さな川峡)の阿波岐原(あわきはら)に 到着すると。 禊を行うべく身につけているものを、次々と脱いでいき、投げ捨てた、杖・帯・衣 等から、次々と神々が生まれた。 そして、川での禊で、住吉三神が生まれた。 〔川底の水で禊=底筒男命(そこつつのおのみこと)・水中の水で禊=中筒男命(なかつつのおのみこと)・水面の水で禊=表筒男命(うわつつのおのみこと)が生ま れた。この三神の総称を=住吉大神ともいう。](住吉神社の祭神は、住吉大神 と 神功皇后) そして左目を洗った時に、天照大御神(アマテラスオオミカミ) が生まれ、右目を洗った時に、月読神(ツクヨミノカミ)・鼻を洗った時に 建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト:日本書紀は素盞鳴尊)が生まれた。(この三柱を三貴神 みはしらのうずのみこ:さんきしん と呼ぶ:〈参照:神々の系譜〉) そして イザナギは「天照大御神よ、あなたは高天原(昼)を治めなさい」・月読神には、「夜之食国(よるのおすくに:夜の国)を治めなさい」・ 建速須佐之男命には、「海原(地上)を治めなさい」と命じた。 (三) 【誓約 うけい】 (建速須佐之男命と天照大御神の対面) スサノオは、母のイザナミに逢いたいため、根の国(黄泉の国)に行きたいと泣き、海原(地上)に行かなかった、怒ったイザナギは、スサノオ を高天原から追放する。 スサノオは、根の国(地上)に行く前に、姉のアマテラスに逢って行こうと、高天原のアマテラスの所へに向かう。 スサノオが、地響きを立てながら近づいてくるの知った、アマテラスは、スサノオが高天原を奪いに来たと思い、武装してスサノオを待ち構えた。 (アマテラスは、鎧を着て髪を男のように美豆羅〈みずら〉に巻いて、左右の美豆羅にも、鬘(くし)にも、また 左右の手にも八尺やさかにの勾玉を 五百個貫いた御統(みすまる:首輪のようなもの)の玉を巻き、弓を振り立てて、堅い土を踏みならせば、股まですっぽり沈むほどで、まるで雪を 踏むようであった。アマテラスは、鋭く猛々(たけだけ)しい雄叫びを上げて須佐之男命を待ち受け、背中には、千本もの矢を持って武装する) 「根の国に行く前に姉さんに会いに来ただけだ」と、言うスサノオの説明を信じない アマテラスは、天の安河(天の川)を間に挟んで、 その話が本当だということを証明しろとスサノオに命じた。 そこで、スサノオは互いに子を生み、それで神意を問おうと提案する。 まずは、アマテラスがスサノオの剣を三つに折り、 井戸水にひたし口に含み噛み砕いた剣の破片を吐き出し、その息吹から 三柱(みはしら)の 女神が生まれた。 (宗像三女神=多岐津姫命(たぎつひめのみこと)・市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと:神仏習合で七福神信仰で弁天様としても祀られる)・ 多紀理姫命(たぎりひめのみこと:大国主の妻の一人)の三神を奏して=比売神(ひめがみ)→(宗像大社・厳島神社の祭神)。 次に、スサノオがアマテラスの髪に巻いている 八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を受け取り、 同じように井戸水にひたし、 噛み砕いて破片を 吐き出して生み出した神は、天忍穂耳神(アメノオシホミミ ノカミ) さらに、左右の手についている珠を、それぞれ 同じように噛み砕き、吹き付け ると男の神々の天穂日神(あめのほひ の かみ)と、天津彦根神(あまつひこね の かみ:地方の豪族氏族の祖)が生まれた。 【神々の注釈 〈参照:神々の系譜〉】 *【天穂日神の末裔で→野見宿禰〈出雲の豪族で怪力の持主・天皇の前で相撲を取り相手を投げ殺す・相撲の元祖・天皇に仕え古墳の埴輪を考案する〉 →その子孫に土師連→分家に菅原氏 〈防府天満宮には、土師氏が、菅原道真・天穂日神・野見宿禰・天穂日神の子の神の四柱を祀った〉】 最初に生まれた女の神々は、 スサノオの持ち物から生まれた神なので、スサノオの御子になり、次に生まれた男の神々は、アマテラスの持ち 物から生まれたので アマテラスの御子になる。 たおやかな女性の神々が生まれたのは、スサノオにやましい心がないからであり、これが高天原を奪いに来たのでは、ないという証明になった。 (四) 【天の石屋戸】(天の岩戸) |
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スサノオは、アマテラスに心の正しいことを証した後、再三 高天原の田や神殿を荒らすなど 乱暴な振る舞いしても、アマテラスは黙って見ていたが、 アマテラスが高天原の機織女(はたおりめ)の室にいた時、スサノオが 屋根から逆剥ぎにした馬を 落として、 驚いた機織女は、 織り機で陰部を突いて死んでしまう。 アマテラスは、この様子を見て、おそろしくなり、天岩戸に こもってしまった。 神々が住まう高天原だけでなく、人々の住む葦原中国(アシハラノナカツクニ)も突然闇に、おおわれ てしまった。 一刻も早く、アマテラスに天の岩戸から出てきてもらわないといけないと・・八百万(やおよろず) の神々は、天の安の河原(あめのやすのかわら)に集まり、 思金神(オモヒカネノカミ:知恵の神:高御産巣日神の子)を中心に作戦を練った。 長鳴鳥(ながなぎどり)を集めて鳴かせ、玉祖命(タマノオヤノミコト)は、八尺瓊勾珠(ヤサカニノマガタマ)・ 石凝姥神(イシコリドメノカミ)は、八咫鏡(ヤタノカガミ)を作らせた・・・・・。 |
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* 葦原中国(アシハラノナカツクニ)=高天原と黄泉の国の間にあるとされる世界、葦の生い茂った地上世界。すなわち日本の国土のことである。 * 八咫鏡の「咫(あた)」=〈人差し指〉と〈親指〉の間の幅(長さの単位:身体尺):「八」は、大きい・多いの意 準備が整い。・天鈿女神(アメノウズメ:巫女の元祖)は、岩戸の前で樽の上に乗り、乳房をかき出し、裳の紐を押し下げて、陰部まで露わにして (ストリップのように)おもしろ可笑しく踊りだす、それに合わせて八百万の神々は大いに笑った。 その笑い声は、天の岩戸に隠れた、アマテラスの耳にも聞こえてきて、天の岩戸を少し開け 外の様子をのぞき、 「高天の原は、私がいなくなって闇につつまれているはず、どうして お前達は、歌い踊り 笑っているのですか?」 「あなた以上に貴い神がお出でになられたのです。だから 私たちは喜び笑っているのです。」 アメノコヤネが鏡を差し出し、アマテラスに見せると、その鏡には光り輝く神の姿が映っていた。 自分の姿を、別の貴い神だと勘違いした アマテラスは、 もっと じっくりと、その神を見ようと、そろそろと、天の岩戸を開けた、 岩戸のそばに隠れていた、天手力男神(アメノタヂカラ ヲノカミ)は、岩戸を開きアマテラスの手をつかみ一気に岩戸から引き出した。 アマテラスが、天の岩戸から完全に出てきた その瞬間、辺り一面に光が戻り明るく輝いた。 【天の岩戸に集まった神々の注釈 〈参照:神々の系譜〉】 ★ 玉祖命(たまのおやのみこと)=八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を作る玉造部(たまつくりべ)の祖神。〈古事記のみ登場〉 「日本書紀」には、この名前の神は登場しないが(一書)に、同神と見られる神(玉屋命)が「八尺瓊勾玉」を作る。 ★ 石凝姥神(いしこりどめのかみ)=八咫鏡(やたのかがみ)を作る鏡作りの祖:「記・紀」共に登場する。 ★ 天鈿女神(あめのうずめのかみ)=神前で舞を舞う一族:猿女(さるめ)の君の祖:女系世襲で古事記を暗記していた、稗田の阿礼(アレ)は、その子孫。 :猿田彦神さるたひこのかみと夫婦になる。 ★ 猿田彦(さるたひこ)=猿田彦大神と、その子孫(大田命)を祭神とする、元々は、天孫降臨の際に、邇邇芸命(ににぎのみこと)をご案内する。 一般に[道の神・道案内の神・旅人の神]で 天鈿女神(あめのうずめのかみ)と供に【道祖神】と考えられています、 道祖神は 塞の神(さいのかみ)とも言い、村の外れで外部から村に 悪い霊が侵入するのを防いでいます。 ★ 子孫(大田命)=猿田彦の子孫で道案内の仕事:倭姫命が皇居に祀っていた天照大神を祀るの に相応する地を求めて諸国を巡っていた時、 道案内をして五十鈴川の川上一帯を献上したとされている。 ★ 倭姫命(やまとひめ)=第11代垂仁天皇の第4皇女(日本武尊の叔母):天照大神の御杖代(みつえしろ:替わりに奉仕する)として伊勢の国に入り、 神託により皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建したとされる。 (五) 【八俣の大蛇 やまたのおろち】 このような事態になったのは、スサノオノが来たからだ!光をようやく取り戻すことが出来た神々は、 ことの発端になったスサノオノに対して 怒り、高天原から、スサノオノの鬚を切り、手足の爪も抜かせて追放した。 |
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スサノオノは、出雲の国の斐伊川上流にやって来たとき、川から箸が流れてきたのを見て、上流に人が 住んでいると思い、上流に向かうと、一人の娘を囲んで泣いている、老父と老婆がいた。 訳を聞くと 「私たちは、大山祇神(オオヤマツミノカミ:【神々の注釈 〈参照:神々の系譜〉】)の子で、足名椎(あしなづち)、 手名椎(てなづち)と申します、この娘の名は、櫛名田姫(クシナダヒメ)と申します」 「私たちには、本当は八人の娘がおったのです、 しかし ヤマタノオロチがやってきて、毎年 娘たちを 一人づつ喰らっていったのです」 「今年は、私たちの最後の この娘を食い殺されてしまうのかと思うと、悲しく涙が止まらないのです」 |
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「そうか、そのヤマタノオロチは、どんな形をしているのだ ?」 「その目は 赤いホオズキのようで、身は一つだが、頭は八つ、尾っぽも八つ ございます」 「わしは、アマテラスの弟でスサノオノだ、たった今、天から降り立ったのだ、オロチを退治するから、お前の娘 クシナダ姫を わしの嫁にくれ そう言って、嫁になったクシナダ姫の身を守るために、彼女を爪櫛に姿を変えて髪にさした。 また、垣根と八つ の門を作らせ、門ごとに酒を置いた。 やがて、ヤマタノオロチが やってくると、八つ の門にそれぞれ、八つ の頭を入れて 酒を飲み始めた、 酒を飲み終えたオロチは、イビキを かきながら眠ってしまった。 これを見はからって、スサノオノはオロチを刀で切りつけ退治する。 オロチの尻尾から出てきた、 都牟刈之大刀(つむがりのたち)を アマテラスに献上した。 これが、草那藝劔 (くさなぎのつるぎ)である。 その後 スサノオは、この出雲の地が気に入り宮殿を造り、クシナダ姫と新婚生活を送り、次々に子供を生んでいき、 その 六代子孫が大国主命(オオクニヌシノミコト)である。 * 日本書紀=素戔嗚尊は、子の五十猛(イタケル)神を従えて、新羅國に降り立ち、曾尸茂梨(そしもり)と、いう所に着いた。 そして「この地には 私はいたくない」と言って、埴土(赤土)で舟を作り、その舟で東に渡り、出雲國の簸川(ひのかわ)川上にある 鳥上之峯(とりかみのたけ)に辿り着いた。 * スサノオノは、追放後アッチコッチと放浪し、女の神が口や尻から食べ物をだす話や、何処でも歓待されずホームレス状態で旅をする話は 割愛します。 * 日本最初の和歌をスサノオが詠った 妻と共に住むため、速須佐之男命は宮を作るところを、出雲の地に求めた。須賀の地に到って、「ここに来て、私の心は清々しくなった」と 言い、そこに宮を作った。 それで、その地を今も「須賀」と言う。この大神が宮を作るとき、その地から雲が立ち昇った。 そこで歌を詠んだ。その歌は、「八雲立つ、出雲八重垣、妻籠みに、八重垣作る、その八重垣を」。 ・八雲立つ(やくもたつ)=多くの雲(または彌雲)が立ち昇る意の瑞祥(ずいしょう)で、「出雲(いづも)」の枕詞。 * この物語は、鉄を求めて出雲にやって来た弥生人(渡来人)の集団ではないかと。? * 萩市須佐とスサノオノ由来=「記・紀」共に無く、須佐にはスサノオノを祀る「須佐神社・須賀神社」も無く、古い神社は、高山に「黄帝社 :中国の伝説の皇帝で、航海の神様」があるのみ。(須佐の地名の由来は判りませんが、単純に「須佐之男:すさのおとこ」の文字からか ?) (六) 【大国主命(おおくにぬし の みこと)】(最初の名:大穴牟遅神 オオナムチ ノカミ・別称:大己貴神) |
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オオナムチ(後の大国主命)の たくさんの兄神たちである八十神(ヤソガミ)は、稻羽(因幡)国の 八上比売(ヤガミヒメ) に求婚しょうと因幡に出かけた。その時、オオナムチに兄弟の荷物を袋に背負わせて連れて行った。 隠岐の島の鰐(ワニ:鰐鮫)をダマして、赤裸にされた ウサギを見た八十神は、そのウサギを苦しめるが、 オオナムチが助ける ………。 それを見た、ヤガミヒメは「オオナムチと結婚します」 と言った ため、八十神達は怒ってオオムナチに、 「赤い猪がこの山にいるので、 俺たちが上から追うので、お前が待ち受けて捕らえよ」 そして石を火で真っ赤に焼いて転がし落した。オオナムチがそれを捕まえたところ、たちまち、石に焼き付けられて 死んでしまう。 オオナムチの御母神(サシクニワカヒメ)は、嘆き悲しみ、天に参上して、神産巣日神(カミムスヒノカミ)に救いを請い・・。 天津神が、治療し蘇生させた。 ところが 八十神たちは、これを見て、再びオオナムチに、今度は 大きな立木の 上を割いて、くさびを打ち込んで仕掛けをして、 オオナムチを中に入れ、立木で挟み殺した。 御母神が泣きながらオオムナチを捜して……復活させます。 |
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そして、「あなたはここにいたら、いつか八十神たちによって滅されてしまうだろう、スサノヲの おられる 根の堅州国(ネノカタスクニ:黄泉国と いう説もある)に行きなさい」。 オオナムチは、助言に従って根之堅州国の主 スサノヲがいるところにやって来た。 スサノヲの娘の須世理毘売(スセリヒメ)が出てきて、オオナムチの姿を見て二人は特別な言葉を必要とするわけではなく、互いに目を見交わし結婚 した。 スセリヒメは父(スサノヲ)に逢わせるが、今度は、スサノヲがいじわるの試練(蛇の部屋に寝かせたり、ムカデと蜂の部屋に入らせたりする)を繰り返すの で、妻(スセリヒメ)が、夫を助ける。 ある日、寝ているスサノヲを縛って、妻のスセリヒメと供に 大神の宝物である 太刀・弓矢 を携えて逃げ出した。 スサノヲは追いかけてきて、「その太刀・弓矢でお前の兄弟達を追い払え、そして我が娘を正妻とし、貴様が【大国主神】となれ」 それから オオナムチは、『大国主神』と名乗るようになり、太刀や弓でもって、兄弟の八十神を追い退けて国作りを始めた。 そして 因幡のヤガミヒメは、先の約束のとおり大国主と結婚して、出雲へ連れてこられたが、本妻のスセリヒメを恐れて、生んだ子を樹の股 に差し挟んで因幡に帰ってしまった。 [追記] ある日、大国主は、越(こし:越前)の国の沼河比賣(ぬなかわひめ)を妻にしたいと思い、ヨバイしに行く。 (ヨバイ=姫がトイレで用足し中に、便槽の中から覗きをして、ヨバイする話ですが、出雲神社の神さまらしからぬ行為で、割愛。) *〔大国主命〕の古事記原文は〔八千矛(やちほこ)神〕と書かれています、若い時はオオナムチ、ある時は八千矛など、複数の名前があります、 これらは、複数の人物の伝記を 一つに まとめて「大国主」を作り上げたと思われます、 *「越の国」=[日本書紀]の大八洲(おおやしま)国の誕生に、出てくる八つの国の一つです。(編纂当時「出雲」「越の国」は、重要な国と思われる) (七) 【大国主の国作り】 大国主神が出雲の御大(みほ)の岬に坐した時、とても小さな神(小名毘古那神 〈すくなびこなのかみ〉:神産巣日神の御子)が現れ、大国主と兄弟となって 国作りをする。 しかし、後に 相棒の小さな神は、常世国(トコヨノクニ:海のはるか彼方の理想郷)へ、渡ってしまったので、大国主神は途方に暮れ ていた時、 海面を きらきらと光り輝かせて近づいてくる神がいた。 その神は 大年神(古事記の間違い ?)で、 *[日本書紀では「大物主神」と記載され、大国主神の分身〈和魂:にぎみたま〉・ 古事記の神武東征には、大物主神が登場する] 「私をよく 祀るなら、私がそなたと一緒になって国作りをしなければ、完成するのは難しいぞ 」 そこで 大国主神は、その神を「大和の三輪山」に祀り・・・・・。国作りを完成させる。 * 奈良の三輪山の大神おおみわ神社には、大物主神は祀られているが、大年神は無し。 * 大年神=年・歳を司る神:大道の小俣八幡宮の「笑い講」は、大年神を迎えて五穀豊穣を感謝する神事。 (元々は、下小鯖の小鯖八幡宮〈鰐鳴八幡宮〉の氏子であったが、祭りの事で不仲になり、鎌倉時代から、小俣八幡宮に分祀して、 「笑い講」を始めた) 次頁の[(八)大国主の国譲り]は、ここクリックして下さい |
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