(八) 【大国主の国譲り】

 天照大御神は、「葦原中国(あしはらのなかつくに)は、我が子の天忍穂耳神が統治すべき国」と、言うわけで、天忍穂耳命は、
天から地上へ降ることになったが、天の浮橋から下を見ると何だか とても騒がしいので、高天原に舞い戻ってしまった。
そこで、天穂日神(アメノホヒノカミ尾張連むらじの祖)を遣わしたが、大国主神に媚びへつらって、三年になるまで復命しなかった。
 再び、天若日子(アメワカヒコ系譜にない若い神)を遣わしたが、大国主神の娘,下照比売(シタデルヒメ)を娶り、八年間も復命しなかった。
……と、いうわけで、最終的には建御雷神(タケミカズチノカミ武甕槌神イザナミが迦具土神の首を切り血から生まれた神) 等を
葦原中国へ遣わすことになった。

建御雷神 等は、大国主神の目の前に剣を逆さに突き立て、大国主神に直談判する。
建御雷神:「お前に尋ねるが、お前が領有する葦原中国は、アマテラスが御子の支配する国である、お前の考えはどうなのだ」
大国主神:「私にはお答えしかねます。我が子の八重事代主神(ヤエコトシロヌシノカミ)が、申し上げることでしょう」
八重事代主神:「恐れ多いことでございます、この国は、天津神の御子に差し上げましょう。」
建御雷神:「聞いたであろう、 お前の子の事代主神の答えを、他に意向を尋ねるべき子はおるか ?」
大国主神:「もう一人、我が子の建御名方神(タケミナカタノカミ)がおります、それ以外はございません。」 
  大国主神が、こう答えている間に、噂の建御名方神が、千人でやっと持てる大岩を指先で、ひょいと差し上げながら、やって来た。 
 そこで、建御雷神と建御名方神が、力比べを始めた、……。建御名方神は、負けて逃げ出し。
 建御雷神は、建御名方神を信濃国の諏訪湖に追いつめて殺そうとしたところ。
建御名方神:「俺の負けだ。この諏訪の地で、ずっとおとなしくしているよ。 俺の親父の言葉にも逆らわない。
      この素晴らしい葦原中国は、天津神の御子にくれてやるさ。」 →→(そして、建御名方神は【諏訪神社】の祭神となる)
大国主神:「私の子供が申すことに、 私も従いましょう。この葦原中国は、仰せのままに全て差し上げます」
 こうして 大国主神は、素直に国を譲り渡し、自らは、その代償として得た【出雲大社】に隠棲するのである…。


(九) 【天孫降臨】

 アマテラスは、天忍穂耳神に「葦原中国(アシハラノナカツクニ:高天原と黄泉の国の間にあるとされる世界=葦の生い茂った地上世界:日本の国土)は、
平定したので天降って、その国を治めよ」とうと、天忍穂耳神は、「天降りしようと服を着替えていたところ、子が生まれました、名は、
邇邇芸命(ニニギノミコト参照:神々の系譜)、この子を降らせた方が良いかと思います」
 アマテラスは「玉祖命・等」の五伴諸神(いつとものおのかみ)に、 孫のニニギノミコトと共に地上に
行くよう命じ、ニニギノミコトに、三種の神器[八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガダマ)・八咫鏡(ヤタノカガミ)
・草那藝劔(クサナギノツルギ)]を、授けます。
 ニニギノミコトは、高天原(たかまのはら)の岩で、できた神座から離れ、 神々と幾重にも重なる雲を
押し分け、道をかきわけ、途中 天の浮橋から浮島に立ち、猿田彦神(サルタヒコ)の道案内で、
葦原中国の筑紫の日向(ひむか)の高千穂(稲補を高く積み上げた所で神が降りる所と されている)
久士布流多氣(クジフルタケ)に天降った。
【原文: 天降坐于竺紫日向之高千穂之久士布流多氣。「自久以下六字以音」】
                       (久の文字の以下6文字は、音読み)

 ニニギノミコトは、 「この地は韓国(からくに:日本書紀は空国)に向かい、笠沙(かささ)の岬まで 真の道が通じていて、朝日のよく射す国、
夕日のよく照る国である」。
(ニニギノミコトの、兄の饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)は、後の神武東征に先立ち、天磐船に乗って天降って、登場しています)


(十) 【木花咲耶姫 コノハナノサクヤヒメ

 ニニギノミコトは、笠沙(かささ)の岬で、大山祇神(オオヤマツミ参照:神々の系譜)の娘で、コノハナノサクヤ姫に出会い求婚する。
コノハナサクヤ姫の父は、 姉のイワナガ姫も供によろしくと御願いするが、姉は醜女(しこめ)のため、姉のほうは鄭重に断わり、
コノハナノサクヤ姫だけを妻にする。
 オオヤマツミは恥じ入りながら、「残念です、コノハナノサクヤ姫のほうは木の花のように栄えるが、イワナガ姫も嫁にすれば、
ニニギノミコトの命は、雪が降り、風が吹こうとも、常に岩のように永遠に変わらなかったのに」 
(こうして 今にいたるまで、天皇の寿命は永遠に長くない。………と、古事記は言う)

 ニニギは、コノハナノサクヤ姫と結婚したが、コノハナノサクヤ姫が一夜で身篭ったことを怪しんだ。
そこでコノハナノサクヤ姫は、子を産むときに産屋に火を放ち「ニニギの子でなければ無事には産まれない、ニニギの子ならば無事に産まれる」
と、宣言して無事に子(三柱:みはしら:ホデリ(海幸彦)・ホスセリ・ホオリ(山幸彦:参照:神々の系譜)を産んだ。
(三柱のホスセリは、ここだけで名前のみ)

(コノハナノサクヤ姫の姉妹に、コノハナノチルヤ姫が居て、スサノヲ と クシナダ姫の間の息子(やしまじぬみ神:参照:神々の系譜)と
 結婚して、その子孫が、大国主命である)


(十一) 【海幸彦 うみさちひこ(兄)・山幸彦 やまさちひこ(弟)】参照:下段の神々の系譜

 ある日、山幸彦は、兄の釣り針で海に行って見たいと思って、釣り針と 弓矢の交換を頼むと、兄は拒絶したが、
弟がしつこく言うので承諾した。
山幸彦は、兄の釣り針で海に来たが、魚はさっぱり釣れないで釣り針を魚に取られてしまう。
兄さんに謝ったが許してもらえず、海辺に出て、途方に泣いていると。 塩椎神(シホツチノカミ:潮の流れを司る神)が現れ、
「小船に乗って、魚のうろこのような建物が建っている宮殿に行きなさい」
「そこが 海神(オオワタツミノカミ大綿津見神イザナギの御子神:参照:下段の神々の系譜)の宮殿です、 門の前の井戸でお待ちなさい」。
待っていると、そこに トヨタマ姫が現れ、山幸彦を見たトヨタマ姫は、一目ぼれしてしまう。
オオワタツミは「私の娘と結婚してください」と頼み、 こうして 山幸彦は、海の国に三年間住むことになる。
 夫である山幸彦が、 ためきいをつくのを見たトヨタマ姫は、訳を聞き、父に頼んで釣針を探してもらう。
タイがのどに釣り針が刺さっていた事が判り、 釣り針がもどってきた。
このまま、兄に返しても、また、いじわるをするだろうと、オオワタツミは、「潮の宝の球」(呪具)を授け。
トヨタマ姫と無事、地上に戻った山幸彦は、すぐに兄の元に向かった。

 また 兄がいじわるをするので、「潮の宝の球」の魔法で兄をこらしめた。
兄は「これからは昼夜、山幸彦の守護人(まもりびと)になって、お仕えいたします」。

 トヨタマ姫は、天神の子を海原で生むのはよくないと、海辺の渚に鵜の羽根で屋根を葺いた産屋を造った。
子を生んでいる最中の姿を「山幸彦」が垣間見ると、トヨタマ姫は八尋鰐(ヤヒロノワニ:鮫)の姿になって這い回っていた。
これを見て驚き恐れて、「山幸彦」は逃げ去った。
 トヨタマ姫は、生まれた、 鵜葺屋葺不合命 (うがやふきあえずのかみ)を、妹のタマヨリ姫に子育てを頼み、身を隠す。
(タマヨリ姫は、鵜葺屋葺不合命を育て、やがて 二人は結婚して、 生まれたのが、神武天皇である。)

【古事記の 上巻:完 】


[神々の系譜]
注釈−1:大綿津見神(オオワタツミノカミ)=イザナギ・イザナミの間に生まれるが「海神」として、
          [山幸彦]の段にだけ登場して、その後「記・紀」には出てこない。

注釈−2:大山祇神=(山の神・海の神として祀られている)しまなみ街道の大三島に全国の総本宮がある。
          [海の神=旧海軍が祀り、山の神=富士浅間神社にも、ニニギに嫉妬した?石長姫・他
           と 祀られている、(石長姫=我が家にも居る、俗に言う〈山の神〉らしい?)]

注釈−3:天津彦根神=アマテラスの三柱(みばしら)の御子神で古事記には名前のみ、この神の子孫は各地の国府の国造(くにのみやっこ:こくぞう)に多い。
           ちなみに 光市の小周防(熊毛I.Cの南)に、周防の国の名の発祥の地として、近くの小学校の側に大きな石碑があり、
          「周防の国の宮(役所)」があった所で、初代の「国造」は、この三男のアマツヒコの子孫と書かれています、
           ・・・・・・が 役所の後は未発見です・・・
           周防の国の「国造」の墓は、柳井の茶臼山古墳か、平生の白鳥古墳の説があります]

注釈−4:大年神= 参照:#122

注釈ー
:稲荷の神=伏見稲荷が総本社、宇迦之御魂神の別名は(ミケツノカミ)と呼ばれ、「ケツ」とは、狐の古い言葉で、このことから 
          狐は稲荷の神の お使いとして祀られています。
         ※ 豊川稲荷は、神社と別のもので 仏教で「曹洞宗」の寺です、「荼枳尼天だきにてん」と言う、古代インド仏教の稲を
          担いだ女の仏様で、仏教の「イナリ」様とされている
         (湯本温泉の大寧寺にも豊川稲荷は祀られている・岡山の最上稲荷も別宗派の寺)


* 別記=《ニニギの名前》
     「古事記」天邇岐志国邇岐志 天津日高 日子番能邇邇芸命(アメノニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギノミコ
         (天津日高アマツヒコ)は、天津神のこと。(日子ヒコ)は、男性のこ。(ホノニニギ)は、稲穂がにぎにぎしく成熟することを
          意味している。
     「日本書紀」天饒石国饒石 天津日高 彦火瓊瓊杵尊(アマノニギシクニニギシ アマツヒコ ヒコホノニニギノミコト)

* 天孫降臨の神話= 天照大神を始祖とする万世一系の天皇の神聖な地位の起源を権威づけ、天皇によるわが国の支配を正当化する狙いを
          秘めた、朝廷にとっては非常に重要な神話です。
           アマテラスは、なぜ 子ではなく孫を降臨させたのか・・・・? は、文献を調べましたが判りませんでした。
          ある説では、持統天皇(女帝)は夫の天武天皇が崩御したのち、皇后の立場で政治を執ったものの、皇子の草壁皇子
          が亡くなったため、自らが41代天皇に即位(690〜697)するまで4年間も天皇不在の期間が、ありました(政情不安?)
          その後、草壁皇子の子、すなわち持統天皇の孫にあたる文武天皇に譲位したのです。
          →→→この孫への天皇継承の正当性から天孫降臨の神話が生まれたとの説があります。
         (ここには、「アマテラス→ニニギ」の天孫降臨神話と同じパターンを見ることができます)
           ちなみに、持統天皇の孫にあたる文武天皇の后が、日本書紀を編纂させた 当時の朝廷の実力者である
          藤原不比等の娘で、不比等の孫(文武天皇の皇子)が天皇を継承しました。

★[天孫降臨]の比定地  (記・紀 の地名から、ご当地だとする説が多い)
 【古事記】 竺紫つくし/日向ひむか之/高千穂たかちほ之/久士布流多氣くじふるたけ
 【紀本文】 日向ひむか/襲そ之/高千穂峯たかちほのたけ/串日くしひ/二上ふたがみ/吾田長屋笠沙の崎。
 【一書一】 筑紫つくし/日向ひむか/高千穂たかちほ/串触之峯くじふるのたけ
 【一書二】 日向ひむか/串日くしひ/高千穂之峯たかちほのたけ。      (串日= 患日)
 【一書四】 日向ひむか/襲之/高千穂たかちほ/串日くしひ/二上峯ふたがみのたけ
 【一書六】 日向ひむか/襲之/高千穂たかちほ/添山峯そほりのやまのたけ
      ※[一書]=“記紀”に於いて、本文編纂のための史料・・・と、される言い伝え。
 
 【日本書紀のニニギの墓】筑紫(つくし)の日向(ひむか)の可愛之山(えのやま)の陵(みささぎ)に埋葬

●天孫降臨の地としては、九州南部の霧島連峰の“高千穂峰”と、宮崎県 “高千穂町”の双方で、古くから天孫降臨の言い伝えがあり、
            今日 本家争いがある。   また 四国の阿波説もある。
●九州王朝説=天孫降臨の地である[筑紫の「日向」とは、福岡市と糸島市との間にある「日向ひなた峠」付近であり、 
      「高千穂」とは糸島市の「高祖山たかすやま」のことである]。
(“紀”の叙述から考えれば,天孫は国もない僻地に降臨したことになり、古代王国の伊都国は無理がある。)

★ 比定地

「高千穂」・・・→宮崎県 高千穂町?「高千穂峯」・→九州南部の霧島連邦の一山である“高千穂峰”
「二上峯」・・・→宮崎県 五ヶ瀬町(高千穂町の近く:神武天皇の兄 五瀬 と同名の町)
「くじふる峯」・→宮崎県 高千穂町 (くじふる神社の背後の山)
         →クジフルに音の似た九重連峰や久住山とする説
「添山峯」・・・→大分県緒方町との境にある祖母山系
「吾田」・・・・→宮崎県臼杵郡「英多あた」の説
        →鹿児島県阿多郡阿多郷(現 加世田市周辺)
「笠沙の崎」・・→(旧笠沙町の野間岬の説) 「笠沙」の地名は、明治に鹿児島県川辺郡(大浦村・赤生本村・片浦村)が合併し
         西加世田村、大正に「笠沙村」と村名を改称、昭和に 「笠沙町」となる。(現 加世田市)
「可愛之山」・・→宮崎県延岡市 「可愛山陵伝説地」

★ これらの地名は、“記”“紀”編纂後の解釈論から始まったもの。


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