【古事記ー要約】 〈池田 成臣〉 古事記【下巻 しもつまき】 * 下巻の特徴は、 和歌(詠歌)を中心とした 歌物語的な展開が多いことであるが、一方、皇族の反逆や変事、皇位承をめぐっての闘争や 暴虐が数多く記されているのも特徴であり、 その後、直系の皇統が断絶して傍流(ぼうりゅう)から 第26代継体天皇が迎えられたことが 記される等、大和政権の危機的状況、 天皇権力の盛衰を窺い知ることができる。 【*記号 または( )内の注釈は、個人解釈です。】 目次:第16代 仁徳(にんとく) 天皇 :第17代 履中(りちゅう) 天皇 :第18代 反正(はんぜい) 天皇 :第19代 允恭(いんぎょう)天皇 :第20代 安康(あんこう) 天皇 :第21代 雄略(ゆうりゃく)天皇 :第22代 清寧(せいねい) 天皇 :第23代 顕宗(けんぞう) 天皇 :第24代 仁賢(にんけん) 天皇 :第25代 武烈(ぶれつ) 天皇 :第26代 継体(けいたい) 天皇 :第27代 安閑天皇〜第33代 推古天皇 【古事記:完】 【第16代 仁徳(にんとく)天皇】 父は、応神天皇。 母は、中日賣命(出自不明)の娘 |
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* 〔天皇〕は様々な善政や大規模な治水事業等を行い、その御世は聖帝(ひじりのみかど)の世と称えられるほど であった。 ところが〔大后(おほきさき)〕の磐之媛(いわのひめ)命は、とても嫉妬深く、吉備の〔クロヒメ:黒日賣〕に嫉妬し、 〔ヤタノワキイラツメ:八田若郎女〕に嫉妬し、さらに怒って宮を飛び出し、天皇がそれを慌てて追いかけ、 歌を詠んで宥(なだめる)ほどであった。 また、〔天皇〕は〔メドリ:女鳥王〕を娶めとろうとしたが、 〔メドリ〕は、その〔大后〕の気性を恐れ、 義兄と通じて〔天皇〕に反逆し、討伐されてしまった。 とにもかくにも〔仁徳天皇〕は〔大后〕に振り回され続ける女難の〔天皇〕でもあった。 〔天皇〕は難波之高津宮において天下を治めた。 〔大后〕との間の御子は四柱(長男が太子)、妻で日向の娘との間の御子は二柱。 |
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《聖帝(ひじり みかど)の御代》 秦人(はたびと:渡来系の秦氏が連れて来た民)を使って、堤と池を作り、難波の堀江を掘って海に通した。 ある時、〔天皇〕は高い山に登り、四方の国土を見渡して国見〈〔天皇〕が高山に登って領国を見渡し、地勢を褒め称えて五穀豊穣を与祝する農耕儀礼〉 に出かけた。 「どの家々の竈かまどからも、煮炊きする煙が立ち昇っていない」 これは貧しくて食べる物がなく、竈に火が入らないからに相違あるまい。 そこで、人民の税や労役を三年間やめることにした。 そのため、宮殿は破れ壊れ、ことごとく雨漏りするようになったけれど、全く修理することなく、器で その漏れる雨を受け、漏れない所に 移って避けた。 やがて国中を見渡すと、国土に煙が満ちていた。そこで、人民が豊かになったため、ようやく 税や労役を課した。 こういうわけで、百姓は栄え、税や労役に苦しまなくなった。 そのため、その御世を称たたえて聖帝世(ひじりみかどのよ)と言うのである。 《クロヒメ への嫉妬》 さて〔天皇〕は、吉備海部直(きびのあまべのあたひ:吉備の漁業集団の統率氏族)の娘〔クロヒメ〕が、その容姿が端正だと聞き、召し上げて使う ことにした。 ところが、〔大后〕の妬ねたみを恐れ、吉備国に逃げ下ってしまった。 〔天皇〕が高い楼閣において、その〔クロヒメ〕の船が出て行くのを眺めて詠んだ歌は「帰ってしまうのが悲しい・・・・・」 この歌を聞いて〔大后〕は、心底から怒った。 ただちに難波に使いを出すと〔クロヒメ〕を船から下ろしてしまった、 そのため〔クロヒメ〕 は、吉備まで歩いて帰らねばならなかった。 それを知った〔天皇〕は、〔クロヒメ〕を愛しく思い、ついに密会を目論んで、〔大后〕に こう嘘をつく。 「淡路島を見てみたい」。 天皇は旅立ち、淡路島にやってくると、さらに 船を進めて吉備国に入った、ただちに〔クロヒメ〕を訪ねた、 驚いた〔クロヒメ〕は、〔天皇〕に献上する食事でもてなした。 〔天皇〕が大和に帰る時、〔クロヒメ〕は「あなたと離れ離れになっても、私はあなたを忘れません・・・」と、歌を贈った。 (この後の二人の関係がどうなったのかは、古事記には記されていません) 《ヤタノワキ への嫉妬》 ある日のこと、〔大后〕が、新嘗祭(にいなめさい:天皇が五穀の新穀を食す:収穫祭)の翌日に行う酒宴で酒杯として使用する御綱柏(み つな かしは :酒を盛るための柏の葉)を採りに、の船を仕立てて紀伊国に出かけた。 〔天皇〕は〔大后〕の留守の間に、かねてより恋心を抱いていた〔ヤタノワキ:応神天皇の娘〕を昼も夜も側に置き遊び興じた。 (つまり 〔天皇〕は、腹違いの妹〔ヤタノワキ〕と恋に落ちたのだった) そんなことを知らない〔大后〕が、御綱柏を船に満載して戻ってくる途中であった。 この時、〔大后〕の船に乗り遅れた〔女官〕が、別の船で難波の船着き場に着いたとき、その船着き場に、吉備国出身で宮中の飲料水を司る 役所の人夫が、たまたま 故郷に帰ろうやってきていた。 彼は〔女官〕の一人に、こんなことを語った。 「この頃 〔天皇〕は、〔ヤタノワキ〕と昼も夜も 戯たわむれあって遊んでおられる。〔大后〕は、ご存知ないからだろう、のんびり 柏の 葉などを集めておられる」 これを聞いた〔女官〕は、すぐに〔大后〕の乗った船に追いつくと、ご注進に及んだ。 そこで〔大后〕は、大いに怨みと怒りで、その船に載せていた御綱柏を、すべて海に投げ捨てた。 そして宮には入り戻らずに、その船で難波の運河伝いに、川を溯上そじょうして、生まれ故郷の葛城(かつらぎ)を目指して山城国まで上った時、 ようやく 怒りも静まったのだろう、天皇を称える歌を詠んだ。「・・・・・歌は割愛」 このように詠んでから戻り、しばらく筒木韓人(つつきのからひと:百済からの帰化人)の家に滞在された。 〔天皇〕は、いくら待っていても帰ってくる気配のない〔大后〕に、「おまえを愛している」という歌を次々作り、それを使者に持たせて |
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【第17代 履中(りちゅう)天皇】父は、第16代 仁徳天皇(第1皇子) 母は、磐之媛命(孝元天皇の玄孫:豪族葛城氏の祖の娘) |
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〔履中天皇〕=〔イザホワケ:伊邪本和氣命〕は、最初の宮・難波の宮から、若桜の宮(桜井市池之内)に移り、 天下を治めることになる。 若桜の宮へ移転した理由は、実弟〔スミノエ〕が起こした謀反でした。 〔履中天皇〕の御子は三柱で、娘の〔イイトヨ〕は、〔第22代 清寧(せいねい)天皇〕の時、次の〔天皇〕選出に 大きく関与する。 【登場人物は、相関図参照】 |
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《スミノエの謀反》 〔長男:イザホワケ〕は、難波の宮に住んでいた頃、大嘗祭[だいじょうさい:新天皇が初めて行う新嘗祭(にいなめさい)の、豊明りの酒宴(新嘗祭翌日の 酒宴)]を、開催したとき〔イザホワケ〕は、祝いの酒を飲みすぎて、深酔いしてグッスリと 眠ってしまった。 すると、〔同母弟:スミノエ:墨江中王〕は、兄・〔天皇〕の殺害を企て 大殿(天皇の寝室殿)に火を付けたのです。 しかし、家臣〔アチノ直:阿知の直〕が、真っ先に異変に気づき、〔イザホワケ〕を起こしたが、目が覚めないので、眠ったままの 〔イザホワケ〕を抱きかかえ 外へ逃げだし馬に乗せて、大和に逃げのびたのでした。 多遅比野(たじひの:大阪府羽曳野市)に着いた頃、〔天皇〕が目を覚ましビックリして「ここはどこだ? 私はなぜここにいるのだ」と、 家臣〔アチノ直〕に聞いた。 家臣〔アチノ直〕は、「殿が就寝の後、〔スミノエ〕が謀反を企て 大殿に火を放ったのです。 殿の眠りが深かったので、眠ったままの殿を私が馬に乗せて、この多遅比野の地まで逃げてきました。 これから大和へ向かいます」と。 説明を聞いて〔イザホワケ〕が、丘から難波の宮の方角を見ると、赤々と炎上する火が見えた。 (この事件を機に、〔イザホワケ〕は難波の宮の地を離れ、若桜の宮へ移る) 大和へ向かって進む途中、大坂山の河内からの入り口で、若い乙女が向こうからやって来て、天皇に申し上げた。 「武器を持った兵隊が多勢 山の麓に待機しています、当岐麻道(たぎまち)へ迂回する道が安全と思います」 大和へ行く一番近い道は、穴虫峠の道なのだが、この道の峠の下では、〔イザホワケ〕の命を狙う兵隊たちが待ち伏せしているので、 当岐麻道を通る道が安全ですと、告げました。 〔イザホワケ〕と家臣〔アチノ直〕は、乙女の言葉を信じ、当岐麻道を廻って進み無事に大和に到着した。 そのまま 〔イザホワケ〕は、石上神宮(いそのかみじんぐう:天理市布留)に、お入りになられました。 峠の麓で集合していた兵隊たちは、〔スミノエ〕が遣わした兵隊でした。 〔イザホワケ〕は、は、乙女の言葉を信じ、迂回して難を逃れました。 (乙女への褒美は、? 記載なし) 〔イザホワケ〕は、猜疑心で、心がいっぱいです。 信頼していた血を分けた 実の弟〔スミノエ〕に、殺されそうになったのです。 この事件から、〔イザホワケ〕は他の兄弟にも疑念を抱きはじめました。 猜疑心で、心がいっぱいです。 大和へ逃げた〔イザホワケ〕は、三番目の弟〔ミズハワケ:水歯別の命〕を、呼びつけて詰問します。 「お前も、〔スミノエ〕と同じ仲間ではないか、どうなんだ、俺は疑っているぞ」 弟の〔ミズハワケ〕は、「それは違います、私には 謀反の心など持っていません、〔スミノエ〕と同じ心だなんて、とんでも ありません」 すると兄は、「これから直に難波に帰って、〔スミノエ〕を殺して証明せよ。ならば、お前の心を信じよう」と、〔イザホワケ〕は、 謀反人〔スミノエ〕の抹殺を、別の弟に実行させ、その弟の白黒を見極めるつもりなのです。 さて、どう討つか・・・と、策をめぐらして。〔ミズハワケ〕は、〔スミノエ〕の家臣〔ソバカリ〕を呼びだし命じた。 (家臣〔ソバカリ〕は、敏捷かつ勇敢なことで知られる隼人で、〔ミズハワケ〕は、言葉巧みに欺くことだった) 「お前が私の命令に従うなら、私が〔天皇〕となり、お前を大臣に取り立て、一緒に天下を治めよう・・・・」 そして 褒美の金品を ど〜んと並べて見せた。 「仰せの通りにいたします」 家臣〔ソバカリ〕は簡単におちた。 〔ミズハワケ〕は「おまえの主君〔スミノエ〕を殺せ」と、命じた。 家臣〔ソバカリ〕は、直ちに動いた。 主君〔スミノエ〕が厠かわやに入る隙をひそかにうかがい、一気に矛で刺し殺した。 こうして、弟〔ミズハワケ〕は、自分の手を汚すことなく〔スミノエ〕を討ち取り、兄〔イザホワケ〕に自分の身の潔白を証明して、 ”信”を確保したのでした。 《隼人を騙し討ち》 さて、もうひとつ山を越えねばなりません。これからが問題です。主君を成敗した〔ソバカリ〕は、自分が大臣に本当に成れると 思いこんでいます。 〔ミズハワケ〕は、〔ソバカリ〕を連れて、大和へ向かった。 大坂山の河内からの入り口に着いた〔ミズハワケ〕は、〔ソバカリ〕を呼んで こう言うった。 「今日は ここに泊まって酒宴を催し、明日 大和に上ろう」〔ソバカリ〕は、「なんの祝いですか?」と 聞くと、 〔ミズハワケ〕は、 「お前に大臣の位を授ける」。 (偽の儀式で〔ミズハワケ〕の〔天皇〕即位式を開催して、その場で〔ソバカリ〕を大臣に任命する、芝居を行う) いよいよ、大盃を交わす儀式です。まづ、〔ミズハワケ〕が 酒を飲み干しました。 つづいて〔ソバカリ〕が飲み干す番で、酒が盃に溢れんばかりに ナミナミと 注がれました。 〔ソバカリ〕が、盃の酒を勢いよく飲み干した時。 その時、〔ミズハワケ〕が、大きな声で、「主君殺しで天誅をくだす」と叫び、 〔ソバカリ〕の首を切り落とした。 (豊明りの酒宴の席での帯刀は、ご法度ですが、〔ミズハワケ〕は隠し持っていました) 翌日、〔ミズハワケ〕は、大和の石上神宮へ向い、(長男:イザホワケ)へ奏上しました。 「仰せの件、すべて平定し終えたことを申しあげに 只今、参上いたしました」。うむ、御苦労であった、休むが良いぞ」と 〔イザホワケ〕も安心し 功績を称え褒美をとらせました。 この夜、〔イザホワケ〕と〔ミズハワケ〕は、久しぶりに兄弟の関係に戻り、朝まで酒を酌み交わしました。 (今回の一番の功労者・火の中から〔イザホワケ〕を助け出した家臣〔アチノ直〕は、蔵官(くらのつかさ:財務管理の長官)と領地を与え、 大出世を遂げたのでした) (〔ソバカリ〕の首を切り落とした段で) 〔ソバカリ〕を成敗した翌日(明日)とのことで、その地を〈近つ飛鳥(あすか):大阪府羽曳野市〉と言うのである。 また、今日は、ここに泊まって禊みそぎをして、明日、石上神宮(〔イザホワケ〕の居る所)に参上しよう・・・・ その地を名付けて、〈遠つ(難波の宮から遠い)飛鳥(あすか):奈良県明日香村〉と言うのである。 こうして〔イザホワケ〕、若桜の宮で即位し、のちに〔履中天皇〕と呼ばれる。 崩御:〔履中天皇〕は、64歳にて崩御。 御墓は、毛受(もず:堺市)にある。 【第18代 反正(はんぜい)天皇】 父は、第16代 仁徳天皇(第3皇子) 母は、磐之媛命 【登場人物は、相関図参照】 兄の後を継承した〔ミズハワケ:水歯別:反正天皇〕は、柴垣(しばかき)の宮にて、天下を治めておりました。 身の丈は:九尺二寸半あり、御子は四柱。 〔反正天皇〕の伝記録は少ない。 (〔履中天皇〕や〔反生天皇〕は、〔仁徳天皇〕に比べると、事蹟の表現がかなり少ないですが、これは、〔天皇〕の勢力や後世への 血脈の関係するところなのかも知れない) 在任期間:兄の崩御されたあと、4年間、在任された。 崩御:〔反正天皇〕は、御年60歳にて崩御された。 御墓は、毛受野(もずの)にある。 【第19代 允恭(いんぎょう)天皇】 父は、第16代 仁徳天皇(第4皇子) 母は、磐之媛命 【登場人物は、相関図参照】 〔オアサズマ:男浅津間:允恭天皇〕は、遠つ飛鳥の宮で、天下を治められました。 この〔允恭天皇〕は壮年の時、病弱な身体だったので、実兄〔反正天皇〕が崩御された後、「私は、病弱で長患いのため、辞退します」と、 自ら、皇位を辞退されていました。 しかし、〔大后:オサカノオオナカツヒメ:忍坂之大中津比売〕や、家臣たちの 熱心な勧めによって、天皇に即位されたのでした。 〔允恭天皇〕の即位式には、新羅の国王が、豪華な船・八十一艘、奉納しました。 この奉納式の大使は、漢方薬の権威〔王族の男〕が務め、〔允恭天皇〕に漢方薬を投与して病を癒やしました。 病気の治った〔允恭天皇〕は、〈氏・姓かばね〉の乱れが、朝廷の混乱の元になると考え、明確にするため、釜に熱湯を入れ〈誓湯(くかたち) :これは熱湯の中に手を入れさせ、神意を伺う〉の儀式を行った。 朝廷が所有・管理する、民の技能集団(いわゆる 部べ・長おさ)に、釜の熱湯に手を入れさせ、正しい先祖の名前を告げる者は火傷せず、 氏や姓を偽っている者は火傷する。 こうして 国中の多くの 〈部・長・氏・姓〉を正しく定めることが出来た。 〔允恭天皇〕は、、〔大后〕との間に五男四女をもうけ、 御子たちは皆、美男・美女と評判されるほど、誉れ高い子ばかりでした。 とくに、兄〔キナシノカルノ王:木梨之軽王〕と、妹の〔カルノ大郎女おおいちつめ:軽大郎女〕の二人は、絶世の美男と美女といわれ、 国中に評判が広まり、民衆は褒め称えていました。 崩御:〔允恭天皇〕は、七十八才で崩御。 《同母兄妹の狂恋》 〔允恭天皇〕が没したあと、世継ぎの約束されていた、長男〔キナシノカル〕は、あろうことか、まだ即位していないうちに、美しい 同母妹の〔カル〕と 相思相愛の仲となってしまい。(異母の兄弟姉妹間で情交を結ぶことは許されていたが、同母の場合はタブーである) そのため この〈狂恋〉を知った朝廷や官吏など人々の心は、長男〔キナシノカル〕から離れていき、三男〔アナホ:穴穂ノ御子〕の ほうへ移っていった。 「〔長男:キナシノカル〕は、殺したほうがいいのではないか」 そんなことを 漏らす者もいたようだ。 いずれにしても人々は〔三男:アナホ〕に心を寄せ、〔アナホ〕を〔天皇〕に就けようとした。 これでは 〔長男:キナシノカル〕は、皇位を継ぐどころか、命の危険さえある。 〔キナシノカル〕は、恐ろしくなって 武力で反対者たちを封じ込めようと思い、家臣〔オオマエ:武器庫の大臣・物部氏〕の屋敷に逃げ込み、 武器庫から〈軽矢:かるや:銅製の矢〉を用意し、戦闘の準備を整えました。 これを知った弟〔三男:アナホ〕は、兄の行動を黙って見ているわけには、いかなくなりました。 そこで、〔三男:アナホ〕は、軍隊に命じ新しく造らせた・〈穴穂矢:あなほや:鉄製の矢〉を手に持ち、先頭に立って、家臣〔オオマエ〕の 屋敷を 取り囲みました。 〔三男:アナホ〕軍が、屋敷を取り囲んでいるとき、凍るように冷たい雨が、いきなり降り出してきました。 〔三男:アナホ〕は、歌を詠み・・・「〔オオマエ〕の屋敷の金で飾った門の陰に皆寄って来い雨が止むまで待とう」・・・ そのとき、家臣〔オオマエ〕が、手をあげ、膝を打ち、舞を踊り歌いながら、出て来て申した。 「われらの天皇となるべき〔アナホ〕よ、 同母の兄王あにみこ相手に 戦う必要は ありません。 私が、〔長男:キナシノカル〕を説得して、必ず、あなたにお渡ししますから、矢を下げてください」 〔三男:アナホ〕は、家臣〔オオマエ〕の言い分を認め、兵を下げて退き 待つことにしました。 まもなく、約束した通り、家臣〔オオマエ〕に説得された 〔長男:キナシノカル〕は、武器を捨て丸腰で出てきた。 捉えられた 〔長男:キナシノカル〕は、そのまま、島流しに処する〈伊余の湯:松山市道後温泉〉へ抑留。 ( 〔長男:キナシノカル〕は、伊予で妹を恋しく思い、多数の歌を詠んでいる・・・削除) また、〔長男:キナシノカル〕を心から恋しく慕っていた、妹〔カル〕は、兄・〔長男:キナシノカル〕を忘れることができず。 兄・〔長男:キナシノカル〕のいる伊余の湯まで追いかけて行きました。 その後、二人は、共に自殺いたしました。 崩御:〔允恭天皇〕は、78歳にて崩御。 御墓は、河内の恵賀の長枝(えがのながえ:藤井寺市国分)。 【第20代 安康(あんこう)天皇】 父は、第19代 允恭天皇(の第3皇子) 母は、忍坂之大中津比売 |
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〔三男:アナホ:穴穂御子:安康天皇〕は、石上(いそのかみ)の穴穂の宮(天理市)にて、天下を治められました。 【登場人物は、相関図参照】 |
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《勅命による結婚》 〔安康天皇〕は、〔弟:オオハツセ:大長谷王子:後の雄略天皇〕の嫁には、誰が最適なのかと、常々、考えておりました。 そして、偉大な祖父〔仁徳天皇〕の血をひく女性から、選ぶことになりました。 検討した結果、叔母である〔仁徳天皇〕の娘〔ワカクサカノ王(みこ):若日下王〕が良いという結論になりました。 この〔叔母:ワカクサカ〕の兄が、〔仁徳天皇〕の皇子〔叔父:オオクサカノ王(みこ):大日下王〕です。 家臣〔ネノ臣〕は、〔天皇〕から、この件を任され、〔叔父:オオクサカ〕に会いに行きました。 〔安康天皇〕の父〔允恭天皇〕と、〔ワカクサカ〕は、母違いの兄妹なのですから、義理の伯母にあたる人です。 つまり、〔安康天皇〕は、自分の弟と 自分の伯母を、結婚させたいと考えたのでした。 家臣〔ネノ臣〕は、〔叔父:オオクサカ〕に申しあげた。 「我が〔天皇〕は、汝の妹〔ワカクサカ〕を、〔天皇〕の弟〔オオハツセ〕の妃に、所望されているが、いかがか?」 〔叔父:オオクサカ〕は、〈玉蘰(たまかずら)の冠〉を、敬意の印の品として献上して、 「ありがたく思います、誠に恐縮の極みにございます、仰せのままにいたします」と、答えました。 ところが、家臣〔ネノ臣〕は、献上品の玉蘰の冠を、ネコババしてしまいました。 それだけでは足りず、家臣〔ネノ臣〕は、 〔天皇〕に「〔叔父:オオクサカ〕は、勅命に逆らい ”妹は同族の者の下敷きにはできない”と、言って太刀を抜き怒りました」 と、偽りの報告を〔天皇〕に伝えたのでした。 〔天皇〕は、家臣〔ネノ臣〕の報告を聞き大いに怒り軍隊を出動し〔叔父:オオクサカ〕を殺してしまいました。 そのドサクサの中、〔天皇〕は、〔叔父:オオクサカ〕の正妻〔ナガタノ大郎女(おおいらつめ):長田大郎女〕を、強引に自分の〔皇后〕に、 してしまったのです。 この〔皇后:ナガタ〕には、〔叔父:オオクサカ〕との間に、七歳のひとり息子〔マヨワノ王:目弱王〕が、居たが殺されずに、 〔母:ナガタ〕と供に〔天皇〕の元に連れて来ていた。 ある時、〔安康天皇〕は、神の神託(しんたく:自らの体に神霊を乗り移らせて、神の言葉を求める、神懸りのこと)を受けるため、〈神床:かむどこ〉 に横になり、寝ていました。 その時、〔皇后:ナガタ:元〔叔父:オオクサカ〕の妻)は、何か心配事がある表情の顔をして天皇の側におりました。 〔天皇〕は〔皇后〕の表情が気になり、 「そなたには、何か心配なことでもあるのか?」 と、聞いた。 〔皇后〕は、「いいえ、〔天皇〕の”ご愛籠”をいただいて、私には、何の心配もございません」 と、答えた。 〔天皇〕は、「実は、私には常に心配していることがある。 それは、お前の子の〔マヨワ〕が 成人した時、自分の父を、私が殺したと 知ったならば、私に反逆の心を持つのではないか? と、いうことが心配なのだ」。 この時、〔マヨワ〕は、丁度 すぐそばの神殿の床下で遊んでいて、運悪くこの話を聞いてしまったのです。 〔マヨワ〕は、父上の仇討ちをしようと、〔天皇〕の隙をうかがった。 〔天皇〕が〈神床〉で ぐっすり眠り込んで、母の〔皇后〕 が神殿から下がるのを待った。 頃合いをみて〔天皇〕の寝込みを襲い、小刀を天皇の首に打ち刺し殺害した。 そして、そのまま、無念の死を遂げた父〔オオクサカ〕の家臣で、葛城の豪族〔ツブラオホミ〕の館に逃げ去ったのです。 《兄二人の惨殺》 兄の〔安康天皇〕が、妻を世話してくれると思っていた同母弟の〔オオハツセノ王子(みこ)〕は、まだ少年である。 兄(安康天皇)が殺されたことを、聞いた弟〔オオハツセ:後の雄略天皇〕は、怒りで震え叫んだ。 兄の仇討ちを果たす覚悟で〔オオハツセ:雄略〕は、兄〔クロヒコ〕に、協力を求めに行き 懸命に訴えました。 しかし、〔クロヒコ〕は、ぼさ〜としたまま、他人ごとのように無関心の怠慢な態度でした。 その態度に激怒した〔オオハツセ:雄略〕は、ついに ブチ切れた。 「〔天皇〕が殺された大事件というのに、こんな一大事のときに、〔クロヒコ〕のそのいい加減な態度は許せん」 〔オオハツセ〕は、太刀を抜き、〔クロヒコ〕の襟首をつかみ、めった切りにして殺してしまった。 さらに、〔オオハツセ:雄略〕は、もう1人の兄・〔シロヒコ〕にも、同じく協力を求めましたが、この兄も、〔クロヒコ〕と同じく、 のらりくらりと、いい加減な態度を示してばかり、協力する気はありません。 二人目の兄・〔シロヒコ〕も、俺には関係無いと、 まったく他人事の感じです。 又も腹が立った〔オオハツセ:雄略〕は、〔シロヒコ〕を ボコボコにして、外へ引きずり出し、 穴の中に埋めてしまった。 〔シロヒコ〕は、首まで埋められて、両眼が飛び出して死んでしまいました。 〔オオハツセ:雄略〕は、もうこうなっては、自分が先頭になって、仇討ちを行うことを、決意しました。 たった一人で 軍を起こして、〔マヨワ〕が逃げ込み隠れている、葛城の豪族〔ツブラオホミ〕の館を包囲する。 〔ツブラオホミ〕の方でも、軍備を整え待ちうけていました。 こうして、両軍はしばらくの間、矢を射かけ合い互角であったが、やがて 〔オオハツセ:雄略〕に有利となった。 〔オオハツセ:雄略〕は、威風堂々とした度胸で、矛を杖として飛び交う矢をくぐり抜け館の中まで突入しました。 この度胸極まる行動に驚いた〔ツブラオホミ〕は、身に帯びた刀剣を捨て八度も頭を下げてから、こう言うった。 「〔オオハツセ:雄略〕の、あなたさまより、賤しい身分の私は、力を尽くして戦っても、あなたさまには勝てません。 しかし、今の私は、お世話になっ自分の主君の可愛い〔マヨワ〕を、身捨てることはできません。 私も、〔マヨワ〕も、共に 自害する覚悟でございます。 その後、ぜひ、私の願いを叶えてほしいのです。 葛城の五カ所の屯倉(みやけ:朝廷の直轄地)を差し上げますので、我が娘〔カラヒメ〕を、妃に向かえてください」と、伝えて 〔マヨワ〕と〔ツブラオホミ〕は自害した。 〔ツブラオホミ〕は、〔オオハツセ:雄略〕に自分の娘・〔カラヒメ〕を妃にして欲しいと伝えて死んでいきました。 (〔安康天皇〕の家臣〔ネノ臣〕の讒言(ざんげん)が引き起こした、無意味な殺し合いは、やっと終了しました。 だが、この事件の発端となった讒言の悪党・〔ネノ臣〕のその後は、どうなったか 記載がありません。) 《従兄弟同士の殺し合い》 この事件からしばらくたった頃、 ある時、近江の国の韓袋(からぶくろ)という者が、〔オオハツセ:雄略〕に、「淡海(近江国)の 蚊屋野(かやの)では、数多くの猪や鹿がいます。 その獣の立つ足は、まるで 林が広がっているようで、角は枯れた松のように見え るのです。 王も、猪・鹿狩りに行かれたら良いでしょう、楽しいですよ」 と、 申し上げた。 さっそく、〔オオハツセ:雄略〕は、〔履中天皇〕の皇子で、従兄の〔イチノベノオシハノ王:市辺之忍歯王〕を誘って、多勢の家臣を 引き連れて、淡海(あわうみ:琵琶湖)の国・蚊屋野まで、猪・鹿狩りに出向いて行きました。 (この 〔オシハ:忍歯王〕の名前は、後の物語(賢宗天皇の段)で〈歯〉の特徴に繋げるために付けられたようだ) 二人の王(みこ)は、狩りを楽しむつもりで、別々に仮宮の宿を造りました。 朝早く起きた 〔オシハ〕は、狩りに向かう途中、〔オオハツセ:雄略〕の仮宮の前を通りかかった時、仮宮の門番に 「王は、まだお目覚めではないのか ハハハ‥‥ 夜はもう開けておるぞ 」 と、ひと声、朝の挨拶を馬上からかけた。 そして、狩り野へ向かって馬を走らせていきました。 〔オシハ〕は、朝の挨拶をしただけでしたが、言葉は、聞いた側の人間が、誤解を生じやすいものです。 この朝の挨拶を聞いた門番は、〔オオハツセ:雄略〕に、 「まったく、いやな物の言い方をする人です、王は武装して出かけたほうが 良いですよ」 と、言ってしまった。 この門番の話を、うのみにした〔オオハツセ:雄略〕は、頭には「兜」 衣の内には「鎧」を着、弓矢・太刀を帯びて馬に乗り ”ムチ”を入れ、〔オシハ〕を追いかけ、狩り野へ向かって突進していきました。 〔オオハツセ:雄略〕は、〔オシハ〕に追いつくなり、いきなり矢を抜いて〔オシハ〕を、射ぬいた。 さらに、馬から落ちた〔オシハ〕の身にまたがり、止めを刺した。 そのあと、すぐに その身を斬り刻んで馬の飼葉桶に入れて、 草原の草叢(くさむら)の中に、誰にも気づかれぬように、埋めてしまったのです。 殺された父〔オシハ〕の、二人の子〔オケ・ヲケ〕たちは、自分たちの身にも危険が及ぶ前に、すばやく、知らない土地を求め 播磨の国(兵庫県南西部)へ、逃げだしました。 その途中、まだ幼い二人の兄弟は、山城国に着いて、乾飯(ほしいい)を食べている時、顔に入れ墨をした老人が、現われ、彼らの乾飯を 奪った。 「何をする。 欲しければやろう、お前は何者なのだ」 と、問うと。「私は山城の猪甘(いかい:豚飼い)だ」 と、 偉そうに言う。 豚飼いごときに無礼なまねをされて〜〜〜〜〜「いつか、この仕返しはしてやる・・・・・」 この兄弟は生き延びるには、とにかく、身分を隠して逃げまわるしか方法がありませんでした。 兄弟はそこから、丹波の国を抜け、ようやく 播磨の国まで、逃げ延びてきました。 そして、この土地の長(おさ)で、屯家(みやけ:朝廷の倉元)を担っていた、〔シジム〕の家に雇われました。 二人は、主に馬や牛の世話や、下働きの仕事を行い、住み込みで働きはじめました。 崩御: 安康天皇は、御年56歳で崩御された(在位は3年間)。 御墓は、菅原の伏見の岡(奈良市宝来町) 次頁へ、ここクリックして下さい (使用ソフトが、文字サイズを多用すると1頁の容量がオーバーするので頁を増やしました悪しからず) |
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